私学人 柴田哲彦先生
☆白梅学園清修の中2の英国研修に同行し、日々刻々の生徒の様子を見守っている引率の若手の先生方を見守っている副校長柴田先生は、清修の一教師であると同時に、広く世界の師として私学人である。
☆常に先生方にきれごとを言ってごまかすな!と檄を飛ばしてきた。つまりそれは柴田先生が言うところのカオスをおそれるな、直視せよ、そしてそこからコスモスを創りだすのだ!つまりそれが私たち教師の「自立/律」であり、生徒も「自立/律」することなのだと。
☆これはしかしまた、生徒をとにかく見守りなさい、自分の枠で見てはいけない、生徒自身のおかれた状況に目配りせよ!と毎日先生方に語っていることに通じる。つまり、どうしてこんなことができないのかと言えば負けよ、それは大人にとっては当たり前のことも、いまここで生徒が置かれている状況では、カオスかもしれない。そこを生徒がどのように乗り越えられるか、飲みこまれそうになったその瞬間までは、見守るのだ!っと。
☆ところが、そんな理念をわかろとうしない若手の教師もいる。それは清修に限らず、いるものなのだ。若いということはそういうことだ。生徒と同じである。だから、柴田先生は、その若い先生の言動も見逃さない。微笑みの背景に鋭い眼光が光っている。
☆若いうちは、自分の体験やキャリアを盾にとる。大学や大学院で学んできたところによると、そうれはそうではないんじゃないですか?傲慢というか万能感というか、そんな若い教師を柴田先生はある程度まで見守っている。
☆しかし、その盾が邪魔して、カオスを直視しなくなると、その盾を破壊する。破壊されると、自分の殻がなくなり、小さな自分がカオスの前で震えているのが露わになる。そこから立ちあがれるかどうかが、柴田先生といっしょにやっていけるかどうかだ。
☆おそらく、そそくさと逃げてしまう若手もいるし、虎の威を借る若手(いやキャリア組もいるかもしれない)もいるだろう。柴田先生にとって、副校長というロールプレイは、カオスを直視するのにちょうどよい位置である。白梅学園の経営陣はけだし慧眼である。
☆もし柴田先生が校長であれば、現場になかなかおりていけない。おりていっても素を見せないだろう。それでは、柴田先生の繊細な感受性が働かない。
☆いや、本当は江原素六のように、校長でも生徒といっしょに毎日接することになるだろう。江原素六も幕臣のエースだったからこそ、新政府から追われた。一時は腹を切ろうとしたときもあった。儒教とキリスト教の二つの教養を身につけ、兵学にすぐれ、後に政府が回収してしまうほどの沼津の兵学校のプロデューサーの一人でもある。
☆米国の視察から帰国後は、酪農の土台もつくった。北海道の酪農は、江原素六に学んでいもいる。板垣退助とともに遊説し、政治家としても活躍している。福沢諭吉や新島襄とともに私学の系譜の第一世代である。そののち内村鑑三や新渡戸稲造、石川角二郎らが私学の系譜を継承していく。
☆しかし、福沢や新島と違い、大学からの誘いもあったが、最終的には、麻布学園という中等教育で、日々寮生とともに学園生活を送った。自らの学問を追求するのではなく、未来の人材の心を見守るために。今では江原素六は、私学人にとっての宝である。私学の系譜を継承する教師にとって、学園を超えて学ぶ泉である。
☆おそらく柴田先生もその系譜の中にいるし、今後の私学人となる若手の先生方の師となるだろう。同行している清修の先生方が、中2の清修生の日々の生活を見守っている日記が公開されているが、ただ、スケジュールの流れを映すだけではなく、そのつど生徒が小さなカオスを乗り越え、殻を破っていく様子がわかるように記述されている。
☆カオスにフタをして、危険を避けることはできるが、それでは、生徒はいつまでたっても「自立/律」できない。なんのための引率なのか、それは小さなカオスを乗り越える体験を生徒ができるためにである。危険を避けるのではなく、危険を乗り越えられるように、ギリギリ待つのである。引率の先生方が24時間態勢になるのは、そういうことである。
☆柴田先生の見守るまなざしと眼光は、ひとり清修だけではなく、どうか日本の教育全体にも及ぶことを期待したい。
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