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なでしこジャパンの意味②

☆W杯で、なでしこジャパンが優勝し、世界一になった活躍は世界中から讃えられている。この讃えられている状況は何を意味しているのか。

☆それは、3・11の大震災とそれがもたらした原発事故から被災者の方々の復興を祈る思いとそれを支えてくれる世界の人々への感謝の気持ちを表現して挑んだなでしこジャパンの理念に、世界の人々が共鳴したことを意味する。

☆もう少し言うならば、今回の3・11の大震災は、啓蒙思想や近代哲学に大きな影響を与えたリスボン震災に重ねられるように、近代市民の生活世界を支えてきた近代科学とその技術という根拠が揺らいだことに気づかせた。

☆この気づきは、日本だけの問題ではなく、世界の共通する問題である。合理的で高効率で予見可能性大という信頼が、打ち砕かれたのだから、世界の人々が、新たなに生活世界のもっと正当な根拠はないのか、強制的ではなく、自発的に考えようとする思いが生まれたのである。

☆普遍的なはずの科学技術への過信がいかに局所的な基盤に過ぎなかったのかを認識し、新しい普遍的な根拠を世界の人々が協力して発見あるいは作りだそうという大きな第一歩が、今回の世界の人々の3・11への支援だった。

☆もちろん、それを理屈で理解したわけではなかったが、その直感的普遍性への志向が、より確かであると確信させたのが、なでしこジャパンの活躍であったのではないか。

☆しかし、もはやマスメディアの取り上げ方は、ロンドンオリンピックへ向けていかに勝利するかの話に終始している。これは、この近代世界の問われなき科学技術という根拠への振り返りを停止させてしまう危うさを早くも生み出している。

☆世界中の人々の感覚、感情、情念のセンサーが見つけた新しい普遍性への希望を忘れないためにも、語りあい、あるいは発信し合い、誰に強制されるわけでもなく、その潜在的な思いを形式化しておく必要があるだろう。

☆そして、この近代世界をつくったそして作り続けていく欧米文化に無常観というアジアの文化を補完していく作業が、重要なのである。グローバルな世界において地球市民は、直感的に新たな普遍性を見出すが、それは移ろいゆくものでもあるという無常観は、もはや無視できないだろう。懐疑論的な視点ではなく、無常観という超越論的な視点の重要性である。

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