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かえつ有明 ニュートレジャーを編集した教師陣

☆文科省がグローバル人材育成推進会議の中間まとめの報告を出したころ、時を同じくして、週刊東洋経済(2011.7.2)は「グローバルエリートを育成せよ」という特集を組んだ。

☆文科省や経産省は、グローバル人材層の形成が、世界からの信頼と尊敬を得て存在感のある国家を再構築できるし、その土台のもとに経済成長を成し遂げたいというコンセプトがあるようだ。

☆しかし、東洋経済のほうは、グローバルエリート育成競争が世界ではじまっていて、日本はすでに遅れている。この競争は、国家間の競争ではなく、個人の競争なのだというトーンである。

☆グローバルエリートを育成しても、そのエリートは、世界の感覚では、倫理的なものでも高邁な精神の問題でもなく、やっぱり相変わらず優勝劣敗の感覚である。

☆こんな世界でサバイバルできる能力は何だろう?そして経済エリートでも、国家エリートでもなく、個人としてノーブレス・オブリージュのメンタルを放ち続けられる人材はいかにして形成されるのだろうか?

☆その答えの1つは、かえつ有明が持っている。今や公立中高一貫校も使っている英語の教科書「ニュートレジャー」。このテキストの編集委員の一覧6人の中に、久保敦、山田英雄、Simon Clayという名前が掲載されている。

☆日本人2人は、かえつ有明中高の英語の教師である。外国人は、嘉悦大学の准教授である。かえつ有明のTOKというIBスタイルのプログラムをつくった中心の先生方でもある。さらに、山田先生は、かえつ有明のクリティカルシンキングプログラムである「サイエンス科」という独自教科も完成させた。というのもニュートレジャー3・4を見ればあまりにも明かであるが、そこにはクリティカル・シンキング養成プログラムそのものが埋め込まれているからである。

Nt3☆たしかに、ニュートレジャーを活用すれば、グローバルエリートに必要な英語能力は養われるかもしれない。しかし、それだけでは、日本人の身体そのものにクリティカル・シンキングの発想が染み込まない。

☆なぜなら、日本語も話すわけだから、日本語でもクリティカル・シンキングの発想を使えるようにならなければ、腑に落ちないのである。

☆そこで、山田先生は、日本語でクリティカル・シンキングを学べるプログラムの必要性を感じ、もともと国語と理科をリンクさせて、思考力を養成しようとしていた「サイエンス科」をより強化したのである。

☆言語と科学の接点をコミュニケーションを介して、見える化したとも言えるだろう。

☆しかも、かえつ有明の校訓は「怒るな働け」である。創設者嘉悦孝が、幕末の大思想家横井小楠の思想とアダム・スミスの原書に学んだすえに生み出した教育のコンセプト。

☆どちらも、新しい時代を切り開いたクリティカル・シンキングの思想そのものである。そして彼らこそグローバルエリートである。嘉悦孝はその感覚を教育に埋め込もうとした。その伝統を「サイエンス科」は織り込んでいる。

☆ノーブレス・オブリージュとクリティカルシンキングの両方が養えるプログラムである。そして高校にあがったときに、待ち受けているのが久保先生とネイティブスピーカーの教師が取り組んでいるTOK。サンデル教授とハーバードの大学生が議論している様子を思い浮かべれば、TOKの授業のイメージはつくと思う。

☆そして、今年は教科主任が毎週集まって、教科とクリティカルシンキングの共通点をロゴス化(質的リサーチの手法)して、さらに質の高い授業を脱構築している最中である。

☆国家の大義名分のためでもなく、経済競争に勝ちぬくためでもなく、世界というオープンな領域で、高邁な精神をもった勇気ある人間として生きていける人材育成こそ、重要であることを、私たちは、3・11で学んだはずである。心あるメディアは、かえつ有明をきちんと取材すると、本当のこれからの教育のヒントをとらえることができるだろう。

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