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富士見中の社会 クリティカルシンキングを養う

電車の中で、「シカクいアタマをマルくする。」をよく目にするが、ときどきハッとするような中学入試問題が使われている。今回の富士見中の社会の問題もそうだ。

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☆明治政府の法整備作業の過程で起きた大津事件は有名であるが、教科書的には、大審院長児島惟謙は司法権の独立を守ったあっぱれな働きをしたと評価されている。

☆しかし、もともと大日本帝国憲法で、日本国憲法のような司法権の独立が認められていたわけではない。いきなりロシア皇太子の裁判が、最上級審の大審院で行われたのは、論より証拠だろう。

☆明治天皇までが、ロシア皇太子を丁重に見舞う行動まで起こしているのに、それでも児島惟謙が司法権の独立を守ったというのは、疑問が残る。児島惟謙自身、裁判を直接担当していたのだろうか。だとしたら、その行いは政治的活動である。

☆明治政府は、先進諸国に仲間入りするために、法進化論、殖産興業、富国強兵などの強硬路線に突入していた時期に、大津事件は起きている。法進化論においては、民法典論争で、自然法論一派を打ち砕き、法実証主義が台頭することになる。殖産興業、富国強兵も、啓蒙主義的な思想家の一派を打ち砕き、優勝劣敗を掲げる社会進化論が台頭することになる、その前夜である。

☆欽定憲法下において、合理的論理実証主義の立場に立てば、天皇以外の理念はいらないというのは、シンプルではある。それゆえ、自然法論や天賦人権説と呼ばれていた啓蒙思想は、排除されたのである。

☆さて、その排除される側の人材が問題なのである。大津事件のときまで、何度も司法大臣に就任してきた山田顕義は、五稜郭を落とした男であり、日本大学の学祖であり、実は吉田松陰の最年少の弟子だったのである。

☆明治政府は、立ち上がり当初は、吉田松陰の弟子たちが踏ん張っていたのだが、徐々に歴史の舞台から引き下ろされていく。山田顕義も、大津事件で辞任し、翌年他界している。

☆いずれにしても、日本の近代官僚による歴史は、実証主義によって邁進する。いや合理主義といってよいかもしれない。国家の正当性、信頼性、妥当性を国民一人ひとりと対話して形成するのではなく、官僚の行動原理を、神国という合理的正当化という精神的転移という病を持ち続けてきた。

☆この病に挑んだのが、山田顕義をはじめ、福沢諭吉、江原素六、新島襄であり、かれらの精神を継承し、合理的正当化の病の結末である第二次世界大戦の戦後日本を救済する人材を輩出したのが、新渡戸稲造と内村鑑三である。合理主義や実証主義に対し、自然法論や啓蒙思想で警鐘を鳴らし続けてきたのが、彼らであるが、みな私学人である。ここに、≪官学の系譜≫に対する≪私学の系譜≫が生まれることになる。

☆電車の中で、こんなイマジネーションを膨らませる問題を富士見中は出題してくれた。もちろん、中学受験生にとっては、このような歴史的視点は、まだ関係ない。だから、問題としては、日本国憲法の司法権の独立という理念に照らし合わせれば、当時の評価はどのように変わるのかという角度から問うているわけである。しかし、これだけでも、社会のパラダイムの違いに気づく問題であり、現在日本の教育に最も必要とされているクリティカルシンキングを稼働させねばならない。

☆中学入試は、学校の顔である。富士見中の知のアプローチが、この問題に投影されていることは間違いないだろう。

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