聖学院 知られざる豊かな教育[01]
☆聖学院から、3月1日発行の「学校だより258号」と7月16日発行の「学校だより259号」を送っていただいた。258号は、前年度の聖学院の夏以降の学園生活のニュースであり、259号は今年の夏までの学園生活のニュースである。
☆本冊子は、「学校と生徒と家庭をむすぶ」学内誌であるから、学園の日々の具体的な教育活動が伝わってくる。教師の考え・感じ方、生徒の考え・感じ方、保護者の考え・感じ方、そして同窓生の考え・感じ方まで。
☆2冊まとめていただいて、感じたことは、2冊でちょど聖学院の1年間の中高一貫教育の全体の流れがわかることと、同時に生徒の成長を知ることもできるということである。
☆そして、今回は特別な意味がある。それは、3・11前の様子とそのあとの様子が映し出されているという点である。
☆こう書くと、何か大きな変化があったのかと言われるかもしれないが、そうではない。たしかに4月新年度早々に保護者・教職員に東日本大震災で被災した中高生の受け入れのための「ホストファミリー」の募集と「被災中高生受け入れ基金」などの支援体制を迅速に作りあげたり、被災地の中高生の転入のシステムも構築した。
☆決断力と行動力は、聖学院の伝統である。この俊敏力こそ聖学院のスピリッツなのだが、3・11前と後で、活動は新たな動きを展開したが、それをささえる俊敏力は、変わらない。
☆この俊敏力とは、なんだろうか?それは258号に掲載されている卒業生永世竜王渡辺明さんの講演の言葉にある。「普段の勉強の方が試合と思え」という渡辺さんの父親の言葉がそれだ。
☆中学でプロ棋士になろうとしたとき、はじめてその含意がわかったと。試合の直前にトレーニングするのではなく、普段からなのだけれど、普段=試合という構えが重要だということ。この日常の緊張感は、俊敏力の源である。
☆259号で、山口校長は「新しい戒めを書くわけではなく、初めから持っていた戒めなのであるが、わたしたちは互いに愛し合おうではないか。父の戒めどおりに歩くことが、すなわち、愛であり、あなたがたが初めから聞いてきたとおりに愛のうちを歩くことが、すなわち、戒めなのである」という聖書の言葉について語っている。
☆聖書でいう父は神なのだが、渡辺さんの父親と共通していることを語っているのは、実に興味深い。新しい戒めではなく、はじめから天にいくときまで、愛のうちを歩くということだけなのだとはいうものの、これは簡単なことではない。普段=試合=愛のうちに歩くという緊張感を生み出していくことは、たしかに何かあった時に、そしてこの何かあった時とは私たちの歩む道を阻む何かなのだから、俊敏に動ける構えに常に気遣っていることでもある。
☆学校だよりには、行事やキャリア教育、進路指導、体験学習、部活、生徒会活動など様々な特別な教育活動のプロセスと着々と積み重ねられている成果について報告されている。しかし、その報告の中で、進路指導主任清水先生は「日常的にきちんとした授業が行われていること」=「緊張感のある授業」が重要だと語っている。
☆「普段の授業」は「特別な授業」でもある。その緊張感は、竜王である渡辺さんや山口校長の言葉と共に響いている。
☆本ブログでは、授業の質は教育の質であり、学校の質であると語ってきたが、まさに聖学院はそのことばが当てはまる。しかし、この豊かな質は、まだまだ多くの受験生や保護者に届いていない。
☆最近、他の学校に入学した後に、聖学院の良さを知ることになるケースが増えてきているとも聞き及ぶ。このようなことが起こるのは、受験の時には偏差値と売り物と称される特別な教育に気を取られ、普段の授業の質をリサーチしようとしないからだと語る業界誌もでてきたぐらいだ。
☆聖学院のような学内誌や学校説明会で、授業の質を見ようとすれば見ることができる。聖学院のケースをもう少し考えてみよう。
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