21世紀型教育を選択しなければならない理由
☆20世紀型教育では、将来生徒たちは幸せになれない。この教育は明治政府以来路線変更なくとられてきた教育である。ゆとりか脱ゆとりかはこの20世紀型教育のベクトルの中で、たかだかブラウン運動しているに過ぎない。
☆中学に入学し2年生にさしかかるころ、20世紀型教育の矛盾は、学校を襲うのではなく、生徒を襲う。生徒は自信喪失から立ち直ることはできず、あるいは自信過剰な自我の鎧を身に着ける。
☆心理的なこの格差こそ勝ち組負け組の強迫観念を植え付ける。こんなくだらない幻想の鎖を自由にぶちきるほどの素質を持っている子であれば問題はないが、たいていは非根源的な劣等感に思い悩む。
☆そんな劣等感はまったくもつ意味がないにもかかわらず、一生ものになる。そこから解脱するほどの意義もないほどなのに、そこから逃れられない。解脱とは本来根源的な人間として生まれた劣等感からどう脱するかということであるはずだ。
☆それなのに、何時間しか勉強できなかった、がんばったのに誰それより点数が悪かった、誰それの方がかっこいい、誰それは私を好いてくれない、勉強しろといつも怒られる、あんな低い偏差値の大学に行きたくない、もっと心を開きたい、もっと人間関係をうまくつくりたい、あのノートが欲しい、あの服が欲しい、あんなふうになりたくない・・・。山ほど悩みがでてくる。
☆しかし、これらの悩みは、すべて他責が前提である。自分に悩んでいるわけではない。すべて優勝劣敗という自分不在の悩みである。
☆この悩みを永遠話し続ける限り、自分は空虚なままであるから、幸せになれるわけがない。カウンセリングシステム、ファッションシステム、流通システム、模擬試験システム、資格試験システム・・・カウンセリングだけみていれば、気づかないが、背景には経済システムがあるのだ。素敵なファッションだけ見ていると気づかないが、流行をねつ造するシステムがあるのである。
☆自分不在の悩みは、それらシステムを回すエネルギーである。自分不在の悩みは、やがて化石燃料と融合して燃え尽きてしまう。その素材の破片にすぎない。
☆自分不在の内面はいつも揺らいでいる。しかし、それではあまりに不安であるから、カウンセリングの機能は絶大である。しかし、すぐに揺らぐ。だからカウンセリングは続く。
☆21世紀型教育は、この続くカウンセリングは、対話で置き換えられる。コミュニケーション行為で置き換えられる。
☆対話とかコミュニケーション行為は今までだって存在しただろうと20世紀型教育は切り返す。いや、その質やレベルが全く異なるのである。その差異が20世紀型教育には見えないのである。
☆今の民主党もかつての自民党時代も、首相や大臣が問題発言しても、当の本人は問題だと気づかない。あとから問題になり、辞任という結末を迎える。
☆しかし、だからといって何が問題なのかは見えていない。世論だとか選挙だとか政局だとかという利益の比較考量の結果にすぎない。
☆20世紀型教育は、今となっては由々しき事態を招く。21世紀型教育を実施している学校をまずは選ばなくてはならないのは、今ここでの生徒にとっては、改革を待っていられないからである。
☆21世紀型教育を選ぶ目は、自分で学ぶ以外にすべはない。それがまた21世紀型教育なのである。他人が示す指標は、参考に過ぎないのである。
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