聖学院 エミール・シンクレールの青春物語
☆聖学院のホールで、学校説明会があったときに感じたこと。7時20分ころに用事があって、ホールに立ち寄った。するとまだ誰もいないホール中にピアノ曲が響いていた。バッハのようだけれど、どこか違う。
☆会場設営していた聖学院の方が、準備をしているときに流していた。聞いてみると、グレン・グールドのCDで、ウィリアム・バードとオーランド・ギボンズの作品だった。
☆バロック期のバッハより前のルネサンス期の音楽であるが、バッハの完成した対位法的旋律が響いていた。ルネサンス、宗教改革、市民革命と続く時代に演奏されていた静かな音楽。何かが変わる予感の旋律だったのかもしれない。
☆ふと、第一次世界大戦直後に出版されたヘルマン・ヘッセの転機の作品「デミアン エミール・シンクレールの青春物語」を思いだした。
☆シンクレールが10歳のころから大学生にいたるまで、明と暗の二つの世界で葛藤しながら自らを見出していく作品。この二つの世界は、世界大戦が日常に影響を及ぼし、それと対峙しながら苦悩したヘッセの時代認識。おそらくシンクレールとヘッセはシンクロしていたのだろう。
☆作品の中では、シンクレールは悪に魅せられるが、友人デミアンが登場し、そこから救い出される。しかし、デミアンは、悪から救うものの、明るい世界が正しいかどうかそこは常識に挑戦する。その挑戦の仕方は、「ガラス玉演戯」などほかの作品でも同様で、自らがケイオスの中に沈潜していくやりかただ。シンクレール、つまりヘッセはそれを憧憬のまなざしで見守り、そこに行けないもう一つの世界を残す。それがなんであるかはわからない。
☆ユングやフロイト、そしてニーチェなどに影響を受けながらの精神分析的哲学的小説が、ヘッセの特徴だから、第一次世界大戦後と3・11以降に対する捉え方がどうもシンクロしてしまう。聖学院も3・11以降今まで喪失してきたものを再び呼び覚まそうとしているから、なおさら聖学院ともシンクロしてしまう。
☆このような真摯な青春への取り組みは、大人になってからではどこかこそばゆくてできないものである。たしかに中高時代の大事な思いでは、このような環境の中で作られるのだと感じたのである。
「鳥は卵の中から抜け出ようと戦う。卵は世界だ。生まれようと欲するものは、1つの世界を破壊しなければならない。鳥は神に向かって飛ぶ。神の名はアプラクサスという」
☆デミアンという作品でずっと流れている自己実現への道を歩くときの通奏低音。もちろん、個人的な自己実現ではなく、時代の自己実現の話である。聖学院の青春物語とシンクロするのはまさにその時代と自己の関係の話なのである。
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