聖光学院の試行
☆ベネッセの大学事業部の小村氏から、聖光学院のおもしろい試みについて聞いた。昨年度、日本私学教育研究所で発表された同学院の沖田先生の研究の話。
☆聖光学院は、土曜日を中心に、体験型の授業を設定している。通常の授業が、教科書や高度な教材を使いながらも、知識の関連付けの広がりは、それらテキストの限界内である。
☆大学受験勉強は、これで十分足りるし、それ以上の探求への興味と関心を広げるきっかけは作ることができるだろう。
☆しかし、知識が生活の中で活用される体験こそ確かな学力保証を超えて、生徒の身体と脳の成長を促すことは誰もが思うことだ。通常の授業を超えた、つまり政府の教育政策の境界線を突破した学びの奥深さを体験させるチャンスを作りたいと思うのは、豊かな教育の質を持つ学校の教師の常である。
☆聖光学院の教師の中には、そういう教師は多いと聞く。さて、沖田先生の研究の着眼点は、体験型の授業が大切だということではないらしい。
☆大切ではあるが、博物館を見学しても、モノづくりの体験をしても、さまざまな実験をしても、それらが有機的につながらないところが問題であると。生きるという体験とはさまざまな領域を越境することである。
☆文字ベースのテキストを超えて、体験ベースのテキストを学ぶところまではよいのだが、そこで終わっては、境界線を乗り越えて、つながりを拡大していくことにはならない。知のインタフェースこそ体験の真骨頂なのに。それはいかにして可能か?
☆そこで、体験の状況を変化させようという試みを行っているようだ。地場産業を利用した体験であれば、ものづくりから流通、商品交換、マーケティングまで領域を越境したつながりを実感できると。
☆なかなかの着眼点。この発想は、関係主義的な「状況に埋め込まれた学習」という理論の発想である。ただし、もしもこの発想に立つならば、それはそれで学内的にはジレンマをはらむだろう。
☆というのも状況に埋め込まれた学習は、近代学校教育の枠組みには収まりきれないからだ。近代学校教育を崩すパワーのある学習理論なのである。
☆ポストモダンの教育の時代だから、それはそれでよいかもしれないが、このようなクリエイティブな学習理論を、大学進学実績をきちんと出そうとしている20世紀型教育ベースの聖光学院が、今後どのように受容していくのだろうか?
☆聖光学院の受験生の保護者が、20世紀型教育以上の教育を欲求しているのだろうか?果たして「状況に埋め込まれた学習」の「状況」を、20世紀型文脈から21世紀型文脈にシフトできるのかどうか。
☆つまり、東大合格実績を拡大することで満足なのか、それを超えた教育を追究していくのか。後者は一部の教師による試みなのか、学校全体の取り組みになるのか、そこが問題である。
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