聖学院 知られざる豊かな教育[03]
☆説明会は、山口校長の話から始まった。聖学院が朝のクラス礼拝から始まるように、校長も聖書の言葉を読みはじめた。
神の言をあなたがたに語った指導者たちのことを、いつも思い起しなさい。彼らの生活の最後を見て、その信仰にならいなさい。イエス・キリストは、きのうも、きょうも、いつまでも変ることがない。(へブル人への手紙13章 7-8)
☆聖学院の21世紀型教育の根本には、イエス・キリストの変わることのない普遍的な精神がある。しかし、この精神を継承することは、なまなかなことではない。また、理屈ではない。まずは、キリストにならう弟子のように行うことである。
☆山口校長が、この聖書の言葉を引用したのは、ディサイプルス派(キリストの弟子)である聖学院の気概を語ったのであろう。そして、この師から弟子に真理を伝える伝統は、聖学院の礼拝おいても、授業においても行われている。
☆グローバリゼーションという激動の時代においても変わらぬもの。それはfor othersである。政府が求めるグローバル人材とは、お金をかせぎGDPを右肩上がりにできるタレントであるかもしれないが、聖学院におけるグローバル人材とは、“only one for others”なのである。
☆その後、校長はその変わらぬものに触れに学院に立ち寄る同窓生の話をした。今なお有る思い出の椎の木の下で、想いをはせる同窓生。その話を聞きながら、やはり、聖学院の雰囲気は、ヘルマン・ヘッセの世界観に重なった。
☆それはともあれ、青春時代は、自己実現のための尽きることのない泉なのであろう。ここでも変わらないものの重要性が語られたのである。
☆そして、この変わらぬものは、明治近代国家が捨てたものでもあった。初代校長石川角次郎は、その思想に対抗し、変わらぬものを求めて米国に留学した。そのとき英語が必要だったのだが、それは大学合格のための英語力ではなかった。変わらぬものを支えるには、世界と時代の声を聞かねばならなかったのである。
☆英語の聖学院として認められているが、世界市民へ旅立つための共通言語としての英語力が重要なのだということだろう。
☆最後に、多くの人々に今もなお勇気を与える言葉で、私学人も大好きなラインホルト・ニーバーの祈りを紹介された。
神よ、 変えることのできるものについて、
それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。
変えることのできないものについては、
それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。
そして、 変えることのできるものと、変えることのできないものとを、
識別する知恵を与えたまえ。
☆聖学院の前理事長であり、ニーバーの弟子大木英夫先生の訳である。
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