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麻布の力 野生化した放牧がつくる?

☆昨日15日、麻布の説明会があった。ちょうど今第2回目の最中だろう。3回目は22日(土)にあるから、中身の話はあまりしないでおこう。麻布の説明会は、実際に行くとおもしろい。何かエンターティメントとかDVDなどの演出があるわけではない。

☆でもなぜか会場は爆笑し、真剣に耳を傾ける雰囲気が伝統的にある。すべては教師の言葉の力とうことに尽きる。いや在校生の言葉なのかもしれない。

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☆創設者江原素六の精神「青年即未来」を今も継承し、在校生の賢く小生意気でどこか幼い様子をやさしい眼差しで見守っている様子がわかるプレゼンをする。そこが麻布を志望するわが子と重なって爆笑につながる。

☆そういう意味では、毎年変わらない説明会ではあるのだが、1時間30分の説明会のうち1時間弱話す氷上校長の話が、少し違っていた。

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☆江原素六について語るとき、どちらかというと世界の荒波を波乱万丈に生きてきた創設者の気概と生き方を前面に出していたのが、今回は「青年即未来」を前面に出していたように感じた。

☆いずれにしても江原素六の継承者であることに変わりはないが、幕臣としての江原でもなく、政治家としての江原でもなかく、近代兵学校の創始者としての江原でもなく、実業人としての江原でもなく、教養人としての江原でもなく、生徒と共に学寮に宿泊していた、一教師としての江原素六を語っていたような気がする。

☆決して大人や教師からみた子供像を押し付けずに、あくまでも子供の中にある未来への可能性をひたすら信頼した江原素六の「青年即未来」の精神をどこまで共有できるのか、そこへの挑戦を静かに語っていたように思う。

☆説明会では、毎年広報誌「麻布の丘に」が100円で販売されている。今年も購入した。そこには、氷上先生方がOBインタビューしている「麻布旬の人」というページがあるが、今回は月刊誌「FACT」の編集人宮嶋巌氏が語っていた。麻布という学校はどういう学校かという質問に対し、

放牧だね。見渡してみれば、家庭も放牧、学校でも放牧。放牧されて生きた麻布時代と言うことです。しかし、放牧をすると、排気量の大きい人間になるのではないかとも思っています。

☆この放牧について、別のところで、家畜ではない放牧、野生化した放牧でなければならないと語っていた。

☆おそらく氷上先生は、今の麻布は、もしかしたらどこか家畜の放牧になっていると振り返ったのかもしれない。そんなとき江原素六ならどうしただろうと。野生化した放牧を行っただろうかと自問自答したに違いない。

☆それゆえ、「青年即未来」について思いめぐらしているのではないだろうか。説明会終了後、氷上校長は100年記念館である図書館に坐していた。多くの見学者が訪れ、氷上校長に話しかけられるチャンスを作るためであるが、私は相変わらず≪私学の系譜≫の第一世代としての江原素六の話題をふった。

☆そのとき、江原素六の中庸的な発想をお聞きした。江原素六の精神は、戦後の教育基本法成立に寄与した私学人(特に内村鑑三、南原繁)に継承されたが、それはしかし、全面的にではなかったのだと。

☆江原素六はキリスト教の精神のみを追究したわけでもなく、論語の世界のみを追究したわけでもない。中庸だったのだと。「青年即未来」はポリティカルに形成するものではない。家畜化するわけでも野生化するわけでもないのだろう。

☆青年の内面にある社会の希望は、一つではない。1人ひとりの青年がもっている社会の希望。それは野生化して排気量が大きい青年の希望だけが成り立っても江原素六は喜ばなかっただろう。かといって家畜のように世話をしすぎてその青年の本来の社会の希望でないものを実現しても江原素六は喜ばなかったであろう。

☆氷上校長は、江原素六墓参のあとに生徒が書いた作文を幾つか紹介した(説明会でぜひ聞いてほしい)が、なるほど「青年即未来」がどのように展開しているのかが実感できた。21世紀型教育とは、明治近代国家が試みた教育に対峙した私学の教育そのものの全面化とも読み取れるひとときであった。

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