教育は変わらなければならないのに
☆「本質」とか「基礎」という言葉を、つい筆者も使ってしまう。しかし、そこにすでに20世紀型教育観にからめ捕られるリスクがある。わかっていても、つい使ってしまう。
☆知識/思考、基礎/応用などという二元論的発想が、すでに20世紀型教育だし、そこに優勝/劣敗というパワーが忍び寄るリスクがある。
☆要素還元主義から関係総体主義へという話は、学問の世界だけではなく、教育現場に乗り出してこないといけないのだが、まだまだである。
☆知識は思考のあるヴァージョンにすぎないし、思考は知識のあるヴァージョンに過ぎない。たとえば、そのヴァージョン1を知識と名づけ、ヴァージョン3を論理的思考などと呼んでいるに過ぎない。
☆理解のメタモルフォーゼというか、ダイナミズムというか、そういう関係総体をつかむ言語の質感をもたねば、20世紀型教育から離陸することはできない。
☆20世紀型教育の言語の質感をどう変質させるか?どんなに言語教育を学習指導要領で重視しても、そこの転換がなければウザいだけである。
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