青山学院中等部 上品な予定調和的な説明会
☆本日10月1日、青山学院中等部は学校説明会を行った。聖歌隊によるアヴェ・ヴェルム・コルプスは、実に美しかった。モーツアルトの晩年の傑作だ。しかし、この曲はカトリック教会の聖歌として活用されている。宗教改革に対抗する意味もあると・・・。まあ、宗教に関係なくというアピールでは、ともかく大成功だったと思う。
☆しかし、この曲のトーンは、激しくない。人間の罪を背負いつつ生きていく力を身体に受け入れていく感じの曲だから、ストイックだけれど人間的エネルギッシュさはない。
☆ハンドベル演奏による讃美歌も透明すぎるぐらい美しかった。このような選曲を説明会の合間に挿入するので、全体にエネルギーを感じないトラディッショナルな説明会になっている。
☆というより、中等部部長の話し方のトーンも、学校生活を話される先生のトーンも、入試の出題を説明する先生方のトーンも、セピア色なのだ。懐かしい感じでよいのだけれど。
☆そんな中で、高等部生の学校紹介の作文は、ものすごい変化球だった。静かな口調で始まったので、また元気がないのかなと思った。しかし、そんなことは全くなかった。
中学受験の時、受験勉強を真剣に考えていなかった。親に強制されていやいや勉強した。今となってはそれも懐かしい思い出ですが・・・。第一志望校という概念もなく、最初に受かったところが縁があるということで、青山に入学することにしました。入学直後、初等部出身の生徒がにぎやかでひいてしまった。
☆聞いているこちらは、ワクワクしてきた。おーっ、先生方と違うな。キレイごとを言わないで、どこかで青山は素晴らしいというのだろうと思いつつ聞いた。するとキタ。
しかし、オリエンテーションで、一転した。友人がすぐにできて、はしゃいで先生に叱られたぐらいだ。受け身の態度から一転したのは仲間ができて、協力し合えるから。部活も、上下関係はなく、みんな仲が良いですよ。
☆なるほどね。これはたいへんなことを語っているではないか。なぜなら、学校の先生方は先生方。私たちは私たちという背景が透けて見える。だから、先生方は競争ではなく協力が大事だとか、生きる力はキリスト教の精神なしでは、身につかない可能性大とか、夢のような話ができるのだ。
☆しかし、現実はキリスト教でなくても、民主主義的文化があれば、協力の精神を持てるし、互恵的に助け合って生きていこうとすることもできる。むしろ、本来キリスト教は、人間的協力の自己矛盾を乗り越えるために信仰と神の愛を貫くはずだ。
☆しかし、中等部部長は、すでに説明会の段階で、キリスト教の学校だからと考えて青山学院を選ぶ人は少ないでしょうと諦めている。女子学院の前学院長斉藤先生は、礼拝の意味を理解できなければ受験しないで下さいと言い切ったのを思い出すと、ずいぶん違いがある。
☆この大量消費、大量生産、大量移動のポストモダニズム的経済主義の世の中で、キリスト教は何ができるのか、そのコミットメントをしないで、キリスト教を信じなくてもウチへきてもいいですよ。でもキリスト教を信じなければ本当に生きる力はつかないのですよと言っているような誤解を生む語りは、しかしながら、今の世の神から遠くなった社会への小さな抵抗なのだろう。
☆それにしても、自由とわがままをはきちがえないように指導しますとか、勉強ができるから、スポーツがうまいから愛するのではなく、その存在を受け入れるとう意味での愛を感じる学びが大事なのだという話は?である。
☆そんなことがわからない子どもたちではないだろう。成長発達段階を読み違えているのかと思ったが、そんな中で、在校生はこう語った。
学校生活のなかで一番大事なのは授業です。なかでも英語はとても重要。文法・英会話・聞き取り・書き取りの授業は、一生懸命がんばってうけなければ、勉強量で差がつくから、心構えをしっかりと持ってください。
☆なんてプラグマティックで、来るべき世界リスク社会に対抗できる生きる力を培おうよとアピールしているのは生徒だったということなのだ。
☆でもそうである。青山学院というブランドが手に入って、学校自体は、20世紀型の社会に通用する所与の知識の体系を教示してくれればよいのである。それは生徒にとっては楽な授業だ。つまりベイトソン流儀でいえば、第一次学習。
☆第二次学習、第三次学習は、生徒同士がちゃんと学ぶからいいのである。世界リスク社会は、第二次学習と第三次学習のレベルでなければ乗り切れない。でも学校は、第一次学習まできちんと教示し、あとは祈る以外に方法はないと。
☆この違いが、生徒の学園生活を自由にするポイントなのである。社会に革新を起こすようなキリスト教ではなく、ブランドとしてのキリスト教を学校は守ればよいのである。革新は品格はあっても上品ではない。
☆第一次学習レベルの質が充実しているということは、20世紀型社会に対応する知識や技術を身につける予定調和的な学習がしっかりしてるということ。しかし、世界はすでにそのような知では生きていけない。そこをどうするのか。それはキリスト教の精神で生きればなんとかなると先ほど話したが、これはこれで、真理である。イエスをはじめ多くの信者が殉教して新しい未来を拓いてきたのだから。
☆ただし、大前提はキリスト教の信者の場合の話で、在校生の多くはそれとは関係がない。繰り返しになるが、関係のない生徒は、モダニズムの中で大量消費と大量生産、大量移動というお金の流れをつかみある程度富裕層になる以外に生きる力を発揮できないのである。そのために大事なのは礼拝ではなく、英語の授業なのである。グローバルな世界リスク社会に対応しているとはそういうことだ。
☆各教科の入試問題の説明も、青山学院の授業が、第一次学習のレベルであることを映し出していた。今時どういうロジカルシンキングを求めているのかを問いかけない、入試問題の傾向の説明も珍しかったが・・・。
☆国語は、問題数、ジャンルを語ったが、そんなことはたぶん誰でもわかっている。受験勉強のためではなく、多くの文章を読んでもらいたいは、よいけれど、多読すればよいというものではない。どのように読むかその過程を語らずして何を伝えたいのだろう。過去問を解く問題、考える過程を大事にしてほしい。解答欄が横になっているけれど、特に注意すべき点はないが、見慣れておいてください。
☆しかし、論述問題を出すわけではない・・・。
☆算数は、 例年通り。基本的問題をバランスよく出題する。特に偏って出題することはない。要するに学習指導要領の範囲内でだす。短い文章から必要な情報を確認できるように。途中式はみない。解答を丁寧に書いてください。0と6 7と9 誤った解答が消しゴムで消されていなかったり、小数点の位置がはっきりしない答案がありますよ。比の計算はあっているのに、逆に解答をかいているものもあります。帯分数も仮分数もOKですが、約分をしていないものはバツです。
☆思考過程はどこにいった・・・。
☆社会は 3分野から、20点20点10点の配分で。キーワードは書かせるがセンテンスを書かせるような記述式は出題しない。設問よく読んでください。正しいものを2つ選びなさい。
誤っているものをすべて選びなさいとかいうような問題文を読み間違いないように。
☆歴史も世界も政治も考える視点は必要ないのか?まだ小学生には無理だと思っているのだろうか・・・。
☆理科は 4分野から問題数・配点は均等に出題する。知識は一般的な受験勉強をしていれば理解できるものである。科学のニュースに関心をもったり、日常生活にも科学的な目で臨んでください。社会科同様問題文は丁寧によむように。
☆既存の知識をあまり使わずに、論理的に思考する問題は出題されないということ。つまり、あくまで第一次学習レベルということ。
☆しかし、ある学校のシスターから聞いた話だが、ハロウィンもクリスマスも盛大に商品を売る市場が広まれば広まるほど、イエス・キリストの名前が受け継がれるから、これも神の計画でしょうと。
☆それはアイロニーですかというと、いえマザーもそう言ったでしょうと純粋な笑顔で満ちた表情と眼差しに、畏怖せざるをえなかった。
☆でも在りし日のマザーテレサに会ったとき、日本ほど不幸な国はない。神様の愛が注がれんことをと静かに祈っていたのを私は知っている。
☆まあ、世界リスク社会、リキッド近代社会、ポストモダニズム、再帰的近代社会・・・。なんでもよいが、そういう時代に私立学校もあることだけは確かなようだ。
☆ところで、頼りにすべき、キリスト教学校は、どこだろう。女子学院、聖ドミニコ学園、カリタス、湘南白百合、白百合、立教女学院、フレンド、聖学院、女子聖学院、栄光学園。キリスト教主義としては鴎友学園女子、洗足学園。中学はないけれど、ICU。
☆ほかのキリスト教学校は、どうなのか?単純である。実はミッション校は、経営は修道会だったり、宣教師集団だったとしても、学校経営は、宗教と関係なくても、極端な話どうでもよいのである。
☆ミッションと学校経営が、一致しているところとそうでないところがあるというだけのことであろう。
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