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「第2回男女別学教育シンポジウム」Coming Soon !

☆『「第2回男女別学教育シンポジウム」 受付間近!』で、こう書いた。

東大の前総長小宮山氏は、今も各界で会長や顧問を務め、活躍しているが、日本は課題先進国であり、その解決の探求は世界に先駆けてモデルを提供することができるだろうと。同じように、男女別学教育も、日本のみならず世界の課題である男女の問題を解決する課題先進校である。

参照)男女別学教育シンポジウム→「betugaku2_1006.pdf」をダウンロード

☆課題先進校としての男女別学教育における、先進的な課題とは何だろう?今回のシンポジウムでは、「性差に対応した数学の指導」がトピックになっている。

☆パネルディスカッションでは、数学の先生だけではなく、英語と社会の先生方も参戦する。

☆ここで、何が映し出されるかは大変興味深い。

☆知の性差は、体験的にはたしかにある。問題は、その性差を無理やり、一つのフレームで規定し、そのフレームを男女区別なく使うことが平等であると思われてきたことである。

☆しかし、数学を理解するときに性差があるのだから、別々の方法やフレームを用意しなければならないというのが、今回のシンポジウムの発想。だからおもしろいのである。

☆これは、性差のみならず個人差に対しても同じ問題性が横たわっている。個人差に対応する指導はいかにして可能か?それが「最近接発達領域」問題なのかもしれない。

☆さて、大切なことは、数学というのは、「言葉」というすでにバイアスがかかったフィルターを通して指導されているということである。

☆初めにロゴスがあった。ロゴスは光であったわけであるが、真理はしかしマリアからも生まれている。そのマリアに伝えたものはなんであったか?ロゴスだっただろうか、ファンタジーであっただろうか?直感だっただろうか?聖霊でもない神でもない天使であるわけだから、少なくともロゴスではない。

☆聖書解釈をする立場にないが、聖書を理解するのは聖職者のみならず、一般人も読むわけである。近代教育は欧米の影響を受けているから、聖書のここの部分はものすごい影響を与えている。

☆カトリックでは、マリア信仰があるぐらいだから、ロゴス以外の方法も考えられるはずだが、そこはそういう理解ではなく、差をつけてしまった。ロゴスを優先にしている。プロテスタントは、おそらく偶像崇拝への厳しい脱却があったから、教会の中にマリアを表現するものは、聖書以外にない。つまりロゴス以外の方法はない。

☆したがって、数学を指導する「言葉」はすでに男性思考形態の用語だった可能性がある。もしも女性が数学が相対的に男性よりも苦手だとしたら、それは男性の「言葉」というフィルターを強いられてきたのだから当たり前だったのかもしれない。

☆ということは、性差に応じた指導というのは、「言葉」のバイアスを取り除くという作業が行われるということである。

☆89年のベルリンの壁崩壊以来、学びの論理に変化が起きている。この新しい学びの理屈を忌み嫌うのは、もしかしたら、「言葉」のバイアスを保守したいという価値観が働いているのかもしれない。

☆性差に対応する指導も、新しい学びの論理であるとするならば、数学を指導する「言葉」が変わるということであろう。

☆そしてそれは新しい学びの理屈を構築するということを意味しているかもしれない。官僚近代社会の教育が、89年以前のベースだとすると、それをぶち壊す学びの理論が登場する必要があるわけだが、その大きなトリガーが今回のシンポジウムであり、またも教育改革は、私立学校からというわけである。

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