学校選択のミスマッチ回避(2)
☆聖学院やかえつ有明の先生方から、中2・3の時期までに、自分の身近な生活状況と社会の動きがリンクする思考ができるようになると、その生徒は高校になると突然変わるし、学力も伸びると聞いた。
☆この個人というミクロな状況と世界というマクロな状況をリンクするものは何か?自然と放置しておいてリンクするならば、みなそのように成長するだろうが、そうはならないのは、世の常である。
☆したがって、このリンクを作成できる力を身につける学びの環境やそれを生み出す教師がいる私立中高一貫校を探すことは、重要である。
☆中学受験のときに偏差値が高く、結果偏差値の高い学校に入学できたとしよう。この場合、数学的思考が中学受験段階で高次のレベルまで達しているケースが多いから、MARCH以上の大学言語世界の言葉を、体得しているから、ミクロとマクロをリンクしなくても、大学にはいける数学的思考を持ててしまう。
☆しかし、実際には自分の周りの状況と世界の出来事をリンクする実存的素養がないままに大人になると、実は恐ろしい事態になるケースも多いのである。ただ、このような賢い人材の生活を保障するシェルターがあるので、今までその危うさに気づかれてこなかった。
☆しかし、グローバリゼーションのすごいところは、そのシェルターを破壊し、なにかおかしいぞ、変だぞというシーンを暴露してしまったことだ。
☆もちろん、あるときリンクがバチっとできるときがあるから、心配はないのかもしれないが、それがだんだんなくなっていく可能性がある。なぜならリアルな体験が不足してくるからなのである。
☆ミクロとマクロをリンクするのは、実はこの体験というメゾ社会への参加なのである。であるならば、偏差値55以下の学校のほとんどは体験学習のチャンスを多く持っているからどこを選ぼうとミスマッチなど起きないではないかと思われるかもしれない。
☆たしかに立命館大学のサイトに次のような学習ピラミッドの理論が掲載されている。
☆ディスカッションしたり、体験をしたり、互いに教え合ったりすると、学習定着率はよいという理論であるから、偏差値55以下の学校は、このような環境を作れば、講義型だけの授業、つまりMARCH以上の大学言語世界を教え込む授業をしている学校に比べ、生徒はモチベーションを燃やせるだろう。
☆しかし、これだけでは、まだミスマッチとなる場合があるのである。
☆身近な状況と世界の動きは、他者との共同体験が媒介になってバシッとリンクする生徒がでてくる可能性は高い。
☆しかし、ここで大事なことは他者との共同体験が重要なのではない。生徒一人一人にとって、適切な≪媒介≫は何かということが重要なのであった。数学的思考はこの媒介が数学自らであるから、小学校からなぜか算数が得意な子は、ほかの媒介項がいらないのである。
☆だから、自らの数学的思考を媒介にして、あるとき状況と世界をリンクできる可能性が残されているのである。ただし、自らが媒介であることに気づくことは、これはこれで厄介なのだ。そのことに気づかないでも生きていけるシェルターが強固な間は、問題はないということだけのことである。
☆うだうだ述べてきたが、この生徒一人ひとりによって媒介が何ものであるかは違っているのである。偏差値が高いというのは、MARCH以上の大学言語世界の言葉を媒介にできただけなのである。
☆この言葉以外の媒介を見つけた生徒はみなリンクができる。だから、MARCH以上の大学の言語世界というステレオタイプな媒介とは別の独自の媒介を見つける必要がある。しかし、それには、教師が生徒と対話をしなければならない。生徒の話に耳を傾けなければならない。生徒の言動を見守る眼差しをもっていなくてはならない。
☆教師の代わりに親である場合も友である場合もあるだろう。しかし、それは偶然の賜物であり、システムとしての教育ではない。
☆たしかに生徒はあらゆるチャンスの中で、あらゆる出来事を学際的にリンクする媒介を体得できる可能性に開かれている。しかし、一方で閉じられる場合もあるのは、世を見渡せばすぐにわかる。格差という言葉はまさにその象徴ではないか。
☆だから、そこのサポートをしてくれる教師がいる学校を見つけなければならない。生徒一人ひとりの≪媒介≫を発見する協力をしている領域のことを≪最近接発達領域≫という。この領域を広げられる教師のいる学校を選択すればミスマッチはかなり高い確率で回避でるだろう。
☆学際的にリンクできる≪媒介≫という座標軸を創ることができる人材は、助け合いながらも自律して生きていけるだろう。20世紀産業社会があてにしていた、合理性、効率性、予測可能性、計算可能性は、ことごとく粉砕される激変の21世紀世界に放り投げられるのが、今の子供たちである。既存の知識だけではなく未知の知識もどのように編集しクリエイトしていくか、正解の座標軸、所与のモノサシなど無化されてしまう歴史の中にあって、重要なのはこのような自分の≪媒介≫座標軸は何かなのではあるまいか。
| 固定リンク
「Good School」カテゴリの記事
- かえつ有明 日常の学園生活こそ教育の質(2012.10.01)
- 海城学園 どこへシフトするのか?(2012.09.27)
- かえつ有明 新しいノーブレス・オブリージュへ(2012.09.26)
- 土浦日本大学中等教育学校 世界に開かれた学校(2012.09.26)
- 八雲学園 さらなる挑戦(2012.09.25)
最近のコメント