ハシズムのとらえ方
☆11月27日、大阪の知事と市長のダブル選挙が近づいている。橋下氏の行方をどう理解するか?私立学校にとっては重要である。何せ、名古屋の知事と市長もハシズムを支持しているからだ。
☆このハシズムどのように理解したらよいのか、いささか難しかった。自由競争を持ち込むことは一見よさそうだし、法的正義のモノサシで官主導から政治主導へというのも一見よさそうだ。
☆しかし、大阪の私立学校は、どうもアメとムチでコントロールされそうになっているのを紙一重で攻防しているような感じであり、その流れがお笑いの流行のようにすぐに広まりそうな気配はなんとも不安である。
☆≪私学の系譜≫を保守するような動きとは反するような気がしてならないのである。私学によってももちろん違うが、私の探しているのは≪私学の系譜≫を背景にもった私学である。
☆この私学が未来を創る学校だし、そこから世界市民を連帯させるリーダーを輩出するチャンスを持っているからである。
☆そんなコミュニタリアリズムこそ独裁を生むのではないかという批判も、ひところはあったが、それもサンデル教授以降払しょくする動きがあるのは、さらに勇気づけられる。
☆ハシズムのまずいのは、自由競争ではないのである。ガバメントが決めた枠組みの中で競争して勝者を優遇するという優勝劣敗発想である。これは≪私学の系譜≫が大切にしてきた自由とは真逆である。
☆≪私学の系譜≫の自由は、その枠組みをコミュニティが作るところから始めなければならない。ガバメントとマーケットとコミュニティという分類方法もあるが、おそらくそれはコミュニティという実態のないものをつくって、逃げ場を用意する戦略である。
☆そうではなく、ガバメント・マーケットとコーポレート・マーケットとコミュニティ・マーケットがあるのだとしなければならないだろう。これによって、ハシズムのスタンドポイントが明確になるだろう。つまり、ハシズムはあくまでガバメント・マーケットに位置し、≪私学の系譜≫はコミュニティ・マーケットにアッツのである。
☆それから、もう一つ決定的に≪私学の系譜≫とは違うのは、ハシズムの法の理念は、法実証主義であるということだ。≪私学の系譜≫は「自由法学」発想である。
☆ハシズム、ガバメント・マーケットとはどういう整合性があるのだろうか?それを考えていたところ、「日経ビジネスON LINE(2011年11月18日(金))」で、小田嶋 隆氏が「イタリアと大阪の実に困った相似」という論考を発表していた。少し長いが引用しよう。
イタリアの累卵は、むしろ英独仏といったEU主要国のアタマを悩ませている。
大阪の混迷もまた、どちらかといえば東京人の心根に暗い影を落としている。少なくとも私の目にはそのように見える。似ている。
イタリア経済のアキレス腱が南北問題(先進的で豊かな北イタリアの工業都市群と、貧しいまま放置されている南イタリアの経済格差)にあると言われている点と、大阪の行政に不効率をもたらしているのが、市と府による二重行政であるとされていることも、似ていると言えば似ている。マフィアの暗躍による地下経済の肥大化と、山口組やエセ同和団体の策動による府政の停滞などなど、類似点をあげると切りがない。ギリシャ・ローマというヨーロッパ文明の最古層を担ってきた地域が、二十一世紀の今、再び一体化しつつあるヨーロッパの中で取り残されていることと、関西圏という日本文化の源流を為す地域が混迷していることは、偶然の一致であるのだとしても、印象深いできごとだ。われわれは、彼の地の危機を軽んじてはならない。彼らを軽んじることは、自分たちの過去を軽んじることだ。そしてそれは、おそらく未来を毀損することにつながる。
☆ヨーロッパ全体の歴史と一国日本の歴史をつなぐメタファの視点は面白い。がしかし、グローバリゼーションとは、英語も大事だが、その背景にこのような視点を持つことである。すると≪私学の系譜≫は、近代全体に対する歴史的意義があるという話にもつながるのであるから。それはともかく、こういう箇所もある。
私は、橋下さんの当選に、強い憂慮の念を抱いている。理由は、橋下市長の誕生が、大阪にとって厄災である以上に、日本全国の地方政治に致命的な悪影響をもたらすと思うからだ。勝ちっぷり次第では、影響は、中央政界にも及ぶ。・・・・・・・・橋下さんと維新の会が主張している「大阪都構想」および「教育基本条例」ならびにその背景にある競争至上主義と強権的な人事管理思想とて、一方の「正義」ではある。 しかしながら、「正義」は、往々にして、「不正義」を為すための論拠になる。
☆なぜ「正義」が「不正義」に転化するおそれがあるのか?実は民主主義は、たとえばアローの不可能性原理によって、民主主義が完成すると独裁を生むと証明されているが、むかしからそのパラドクスは言われているから、ハシズム特有の問題ではないのだろうが、今回の場合、ハシズムが民主主義としては無理があるということなのではないか。
☆なぜなら、ハシズムは、民主主義が価値を認めている正義の一つありかた「リバタリアンの論理」だからである。民主主義は価値を尊重するが、民主主義の成立理念としてはもってこれない悩ましいジレンマを内包しているのである。
☆リバタリアンの論理は民主主義という秩序やフレームを壊してしまう論理である。尊重はするが民主主義のガバナンスのパワーを譲るわけにはいかないのである。
☆ハシズムはそこへの挑戦である。しかし、ハシズムは秩序を破壊するわけにはいかない。ポピュリズムなら、秩序を壊すのは恐れるから、適正な判断をするが、テレビのメディアが支持しているハシズムは、リバタリアニズムであるにもかかわらず、自己の利益を都合よく守ってくれるポピュリズム型コンサバに見える。コンサバだから独裁的に見えてもしかたがないし、おもしろいレトリックに過ぎないと。
☆しかし、徹底した秩序破壊のリバタリアン自由とハシズム体制の防御のために、徹底したリバタリアンコントロールを貫くという、自由と強制がなりふり構わず同居した最強のリバタリアニズムなのである。
☆ハイデガーが、判断を誤って、はじめナチ党員になったように。リベラリズムもコンサバティヴィズムもコミュニタリアニズムも自由と規制の構造をどのように調整するか、矛盾をどう解決するかという発想であるが、リバタリアニズムは矛盾なんておかまいなしなのである。
☆小田嶋氏のように憂慮するジャーナリストの存在は極めて重要だし、ファシズム時代のメディアに比べれば、そこまで統制されていないのが、救いの機会が残されているということだろう。大阪市民はどのように意思決定をするのか。重要な時代がすぐそこにやってきている。
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