聖学院のタイ研修旅行 自分が変われば世界も変わる
☆前回聖学院の生徒は、普遍性を背負えるグローバル人材として成長しているという旨を書いたが、その一つの証の書がこのレポートである。
☆参加した聖学院の生徒たちの言葉を読んでいて、つくづく思うことは、自分を変えようとするには、どれほど勇気がいるかということであり、同時にその勇気はいくら待っても自分ひとりの内側から自然と湧き出てくるものではないということだ。
☆受験シーズンを迎える日本列島だが、自分を変える勇気を持てない自己否定感に悩む児童・生徒が多いと聞き及ぶ。
☆それはそうなのである。しかし、受験がそうさせたというのではない。受験列島という日本の状況が映し出いている社会を作っているわたしたち日本人の実存がそうさせているのである。
☆わたしたちの実存は、いつの間にか勇気を持つ必要がなくなっているのである。ところがタイにいった聖学院の生徒は、勇気を生まずして何も先に進まないことに気づくのである。
☆というより、タイの子どもたちとつながることによって、その刹那につながる勇気の尊さを逆照射されるのである。
☆勇気がないのではなく、もともとあるのだけれど、そこに光を与えあい称えあう人間関係が無化されてきた自分たちの実存の虚無を思い知っているのである。
☆しかし、そこからが重要なことだ。思い知ったとき、人生の転轍機が目の前に出現する。虚無と闘うネバーエンディングストーリ―の道を歩むのかどうか。聖学院の生徒はもちろんネバーエンディングストーリーを選択する。
☆前回も書いたが、それが聖学院の教育精神に大きく影響されている。タイ研修に参加した聖学院生は、あのエドワード・W・サイードや彼を高く評価する姜尚中氏の眼差しを共有している。
今日の世界では、疑問の念をもたずに権威に隷属することが、活動的で道徳的で知的な生活に対する最大の脅威のひとつ・・・。そのような脅威に、独力でたちむかうのはむつかしいことであるし、自分の信念をつらぬきとおしながら、同時に、成長し、精神を変革し、新しいものを発見し、かつて見向きもされなかったもののなかに価値を再発見できるような柔軟性を失わずにいるのは、さらにむつかしいことだろう。知識人であることの、もっとやっかいな面は、自分の仕事や介入などをふまえて得たものを、制度的なものに硬直化させてしまうことなく、そしてまたシステムや方法にのっとって動くだけの自動人形めいたものにすることなく、表象(レプリゼント)することである。(「知識人とは何か」エドワード・W・サイード)
☆「タイ研修旅行 参加者レポート」は、まさにこの表象である。そしてサイードはさらに続ける。
Anyone who has felt the exhilaration of being successful at that and also successful at keeping alert and solid will appreciate how rare the convergence is.
☆ここで“convergence”をいかに訳すかであるが、「人生の転轍機」と置き換えると、この“Anyone”は今回のタイ研修に参加した生徒たちとシンクロするだろう。
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