私立中高一貫校の本当の危機 鈴木寛氏の知を侮るとき②
☆グローバル人材育成推進会議の中間報告を読むと、制度論がほとんどであるが、そこに「智識コミュニケーション能力」が一瞬表れている箇所がある。
☆それは、次の記述である。
○グローバル人材の概念に包含される要素の幅広さを考えると、本来、その資質・能力は単一の尺度では測り難い。しかし、測定が比較的に容易な要素Ⅰ(「道具」としての語学力・コミュニケーション能力)を基軸として(他の要素等の「内実」もこれに伴うものを期待しつつ)、グローバル人材の能力水準の目安を(初歩から上級まで)段階別に示すと、例えば、以下のようなものが考えられる。
① 海外旅行会話レベル
② 日常生活会話レベル
③ 業務上の文書・会話レベル
④ 二者間折衝・交渉レベル
⑤ 多数者間折衝・交渉レベル
☆この「例えば」というレトリックが微妙なのである。英語科の先生方と話すと、このようなレベル分けの話はでるが、そこでも「私見」であり、統一はできないという相対化がよくなされる。今回の中間報告もそうなのであろう。しかし、そのあとでこういう記述とデータが続く。
☆そして、今後概要などでは、このデータだけが抽出され独り歩きする。さらにこう続く。
☆コミュニケーション能力の高次のレベルである④⑤を育成するには、大学入試や就活の試験制度を変えなければならないという話になる。その通りではないか!ということになる。誰も反対しないだろう。
☆そして鈴木寛氏も、真実を知っていてあえてこう語るだろう。今までは①から③という「知識コミュニケーション」だったが、これからは④⑤レベルの「智識コミュニケーション」であると。かくして智識コミュニケーション能力は制度化される。
☆改正教育基本法に呼応して改正された学校基本法にぴったり合う智識コミュニケーション能力が制度として確立することになる。学習指導要領のさらなある改訂はここを目指すことになる。
☆しかし、鈴木寛氏は真実を知っているが、政治家ゆえにそこから先は語れない。制度論である以上、税金を使うのである。その枠組みの中で、精いっぱいの智識コミュニケーション能力のメイキングをされている。
☆そこから先は、税金に縛られない教育機関に任せるしかないのである。しかし、そのことを政治家の立場で語れないというジレンマは共有したほうがよいだろう。
☆この意味でこのジレンマを共有せずに、侮ると、私立中高一貫校にとって本当の危機が襲いかかる。すでに、鈴木寛氏の本意ではないが、かなりグローバルなレベルで教育が制度化されつつある。私立中高一貫校の受験が冷え込んでいるのは、少子高齢化や経済の低迷もあるが、それはテクニカルな原因であり、ファンダメンタルな原因ではない。
☆根源的出発点を受験市場が見失っているからであるというのが本当のところなのだろう。問題はなぜそうなるか。それは受験市場もまた、教育制度論に依拠せざるを得ないからである。だから、とりあえず、制度が変わることは、活性化されるのではないかという期待があるわけである。
☆たしかにそうではあるが、それは20世紀型産業社会の話なのだ。マーケットと言っても、ガバメント・マーケットで、コーポレート・マーケットは、教育産業においては事実上、前者に包摂されてきた。
☆そんなとき細々であるが、コミュニティ・マーケットとして私学市場の一部が存在していたのである。そこが機能すれば、私立中高一貫校の危機は回避されるし、日本の教育の危機も救われるだろう。
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