« Netty Land「かわら版」11月号に歴史的レポート!共立の意義 | トップページ | 私立中高一貫校の本当の危機 鈴木寛氏の知を侮るとき② »

私立中高一貫校の本当の危機 鈴木寛氏の知を侮るとき

☆グローバル人材育成推進会議の中間報告(2011年6月22日)は何回か紹介してきたが、これは本当に読んだ方がよい。特に私学関係者は読んで熟考したほうがよい。教育産業関連の企業は、ビジネスチャンスがあるからやはり読んだ方がよい。

中間報告資料→「110622chukan_matome.pdf」をダウンロード

☆もちろん、そのことに気づいて、すでに心ある私学人は、鈴木寛氏といろいろなチャンスでコミュニケーションをとっている。鈴木寛氏は、新しいことに対する公開性はある程度高い政治家であるから。

☆しかし、その話の中心は、おそらく「制度」の話なのである。これはきわめて重要である。しかし、それでは不足しているコトがある。「制度」は「税金」の配分の問題であるから、重要であるが、それゆえに公平性・平等性が絶対であるから、≪私学の系譜≫の特色が公立と差異がなくなる危険性というジレンマを包含している。だからこそコミュニケーションをとる活動が必要なのであるが。

☆にもかかわらず、それだけでは危ういのである。従来の政治家や官僚は「制度論」で十分だったのだが、鈴木寛氏はポストモダニズムの理論を知り尽くし、それを超える理論を構築したうえで、教育政策を推し進めている。

☆ところが、私学側は、教育制度論においては鋭いが、教育論においては、モダニズム批判で止まっているところがある。麻布の氷上校長ですら、南原繁の孫で、父親は丸山真男と同様南原の弟子であるが、やはりモダニズム批判である。もちろんそこにすでにポストモダニズムの予兆を察知し、そこをも批判する洞察力はあるが、やはり現実という実存には勝てない。問題意識が相対的に牧歌的だ。

☆だから、麻布時代、氷上先生の社会の授業で大いに影響を受けた宮台真司氏も、その牧歌性はきちんと批判する。

☆鈴木寛氏は、それゆえ、制度論の脆弱性を知り、それを補完するものは、結局ハーバーマス的コミュニケーション行為しかないとおそらく意識している。

☆ハーバーマスは、コミュニケーション行為を戦略的コミュニケーション行為と生活世界コミュニケーション行為にわけている。前者が後者を駆逐しているのが近代であり、後者がやみくもに前者を破壊しているのがポストモダニズムである。

☆この対立構造が、ある意味イギリスやアメリカ、リビア、エジプトなどなどの構造であるかもしれない。生活世界では普通の男であるアイヒマンが、いとも簡単にその世界を捨て戦略的コミュニケーション行為を行い、ユダヤ人の虐殺を使命感を持って遂行できたのはなぜか?

☆アンナ・ハレントはそれを研究した。鈴木寛氏も、いろいろなチャンスでアイヒマンのことを語る。民主主義は戦略的に行わねば到底到達できないが、すでに戦略的論理はゲーデルが証明したように破綻するのである。この真実をグーグルのトップにいたことがある村上氏は量子力学の世界だと語るわけである。アローもまた民主主義の不可能性原理を証明していると鈴木寛氏が語るぐらいである。

☆それゆえ、戦略的世界と生活世界の統合が必要なのである。それを一言で鈴木寛氏は「智識コミュニケーション」というのである。「知識」ではなく「智識」である。

☆それゆえ、鈴木寛氏の政策方程式は次のようになっている。

教育政策=教育制度×熟議

☆熟議とは智識コミュニケーションであり、それにより「知識基盤社会」を「智識基盤社会」にシフトしようとしているのである。

☆それゆえ、この「智識コミュニケーション」能力を私学人は先回りして、その課題を見つけ超えておく必要がある。つまり脱「智識コミュニケーション」は、「授業」の中で行われるようにしておかねばならない。

☆そんなことはできるのか?それはできるし、私学人でなければなければできない。なぜなら内村鑑三の「後世への最大遺物」の遺伝子を継承できるのは、制度上私学人しかできないからである。ここに教育制度の矛盾があるし、それを解決する糸口がある。

☆そして南原繁の師はいうまでもなく内村鑑三だったことも歴史的に重要なことである。

☆それはともかく、どうすればよいのか。アイヒマンは、実はハンナ・アレントにとっては、ハイデガーのことだと思う。アイヒマン個人を研究したのではなく、そうなる構造を研究したのであり、その構造がハイデガーの哲学のどこにあったのか、ハイデガーという哲学者はファシズムの何を自らの哲学に現象学的還元したのか?

☆ ハーバーマスもハイデガーとは対峙しているはずだ。日本において九鬼周蔵や西田幾太郎、田辺元も影響を受けつつ対峙していたはずだ。つまり≪私学の系譜≫はこの出発点を戦後教育基本法成立時に共有しているのである。

☆内村鑑三のスゴイところは、それを「後世の最大遺物」でわかりやすく見抜いていたことである。

☆この根源的出発点を忘却することへの警鐘が、戦後クーデンホーフ・カレルギーが鳩山一郎とともに「友愛革命」であると説いた。その背景には、原爆に対するリスクマネジメントの方法を探るということがあった。そしてそれは3・11以降の背景と同じであり、根源的出発点に立っているのが、今の日本である。今の私学である。

☆しかし、鈴木寛氏は、いち早くそこに気づき、対応した。復興支援教育への活動を開始しているし、それとリンクするグローバル人材育成推進会議も促進している。

☆にもかかわらず、根源的出発点からどこへ飛ぶかは、わからない。そこでコミットメントしなければならないのは、私学なのである。近づいてくる師走の声を聞きながら、そう思う。

|

« Netty Land「かわら版」11月号に歴史的レポート!共立の意義 | トップページ | 私立中高一貫校の本当の危機 鈴木寛氏の知を侮るとき② »

教育制度」カテゴリの記事