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プレジデントファミリー 一流の家と二流の家の受験戦略の違い?②

☆年収別のデータがあるのは、わかりやすい。たとえば、次のようなデータ。

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☆20世紀型産業においては、当然の結果であるが、21世紀型メガネで見ると、20世紀型日本の大学に問題がある。大学の教授がどこから生まれ、どのように配分されていくかを考えればすぐにわかる。もしも教授陣が東大・京大などで研究したメンバーが他の大学に配分されたとしたら、専門性に違いはない。違いはブランド力ということになる。

☆このブランド力なぜ重要か?就活のため?いや研究費や補助金が集積するからだ。グローバル人材推進会議をはじめ、政府も大学を変えねばならないと言っているのは、そういうわけだが、教授陣の配分にまでは至らない。海外大学とのインターフェースが重要なのは、結局ここでも黒船が必要ということ。

☆おそらく、東大は幕臣たちが自分たちの生活をそのまま学問に置き換えて生き延びるシステムだったからであり、江戸幕府のシステムが形を変えて生きているのである。それほど江戸時代の学問水準は高かかったということでもあろう。

☆それはともかく、現状は大学は幕藩政治さながらなのだから、わが子を入れたい大学は次のようになるのも当然である。

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☆まったく優勝劣敗発想で、大学にも問題があるが、その問題を解決困難にしているのは、大学のランキングが物質化・客観化・常識化してしまった。これをもっと尖鋭に映し出しているデータがこれだ。

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☆大学ランキングは年収格差と重なる。この現状が問題であると感じるか感じないかで、政治経済観の違いがでる。20世紀型産業や教育のこの現状をよしとするのは、コンサバであり、公平観を重視するのはリベラリスト。この価値観の違いは、中学受験にまで浸透している。

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☆ここでは、受験指導=きっちり型、基礎学力=のびのび型という構造になっている。このきっちり型がブランド大学に行きつくわけである。コンサバにとってはこれでよいが、リベラリストにとっては、考えものだ。しかし、大学の問題は根深い。そこで、海外大学となりそうだが、上のデータでは、海外大学志向はわずか0.6%。リベラリストも国内大学で妥協せざるを得ない。しかし、次のようなデータもある。

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☆親は海外留学志向ではないが、子どもが希望したら行かせたいという海外留学の可能性は開かれている。

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☆今海外留学に補助金を出そうという動きが政府・自治体で話し合われているが、子どもが希望したらお金は出すわけだから、補助金も重要であるが、海外留学の理由の中身こそが重要である。語学力と専門性だけだと、ICTの時代、メリットは少ないだろう。つまり21世紀型教育の理由としてはまったく不足である。きっちり型でものびのび型でもない、わくわく型の登場というわけだ。

☆グローバリゼーションのアンビバレンツは、この20世紀型優勝劣敗発想の浸透である。これが世界同時不況を振りまいているわけだ。しかし、一方で世界共和国への発想も進んでいる。チュニジアやエジプトの革命、ジョブス革命、EU、ASEAN、TPPの動きは、その兆候。ここでサンデル教授を通して啓蒙思想の成就がある。要するにわくわく型発想。

☆東大初総理の加藤弘之以降、日本の官僚近代は、啓蒙思想を捨て、優勝劣敗思想を前面に受け入れた。社会進化論、法律進化論をベースに民法典論争でも、啓蒙思想を駆逐した。

☆しかし、賛否はあるが、近代の夢である啓蒙思想とその疾風怒濤の息吹は消えることはなかった。この思想の継承者が加藤弘之と対峙してきた私学人たちであり、その≪私学の系譜≫にある私立中高一貫校なのである。もちろん、この系譜をすべての私立中高一貫校が継承し続けているわけではないが、建学の精神にその文化遺伝子は埋め込められており、それが蘇生する可能性は今でも開かれている。わくわく型が開かれる時は近い。

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