世の中「知識方法論」が変わる[03]
☆脱偏差値とは、統計学としての偏差値が不要だということを意味していない。しかし、「知識の方法論」が確立してこなかったために、偏差値=学校評価、偏差値=生徒の学力というとんでもない意味づけがなされてきた。
☆しかし、「知識の方法論」を組み立てると、そのような意味づけが、模試の偏差値という知識に内包されていないことが確認できる。
☆この「知識の方法論」が形式知化されてこなかったため、「内包・形式×内包・内容」の領域に好き勝手な意味づけを放り込んできたのである。
☆本来偏差値は、その生徒の学力ではなく、ほかの生徒と相対化することにより、何を学ぶか学びの方法論を一人ひとり認識することができる指標。つまり「最近接発達領域」を発見する指標なのである。
☆それがいつのまにか、絶対的な学力レッテルになっているのである。外延と内包の関係が明確化されてこなかったために、内包部分に恣意性がはびこってしまった。
☆偏差値ランキング表などまったく意味がないのである。模試の偏差値知識の外延上にも内包の中にも、そんな表は存在しないのである。
☆模試の偏差値ランキングと世界大学ランキングとでは、まったく算出の仕方が違うのに、あたかも同じように取り扱っているのは、間違いである。
☆こんな間違っているランキング表(ランキング表そのものは悪くないし、民主主義に反しない)に右往左往させられる受験生と保護者は、どうすればよいのか。偏差値ランキング重視の雰囲気に呪縛されないようにしなければならない。そのために「知識の方法論」をトレーニングすることが、今重要である。
☆まして、偏差値が低いからといって自己否定感に陥るなどということは、あってはならない。そのようなことを巻き起こす行為は、人権を無視する行為だという話しにもなるだろう。そんな大げさなとかという発言は、今後失言ともみなされるようになるだろう。時代は変わったのである。
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