聖学院の知の物語の始まり
☆階段をのぼって2階にいくと、オープンスペースが広がっていて、そこに美術部の展示があった。左手には記念祭(文化祭)のときのタッチペイントと右手には制作過程のパノラマが設置され、ギャラリーになっていた。写真を撮っていると、美術の授業に向かう生徒の集団が、引率の化学の教師(なぜ美術なのに化学なのか?)と対話しながら歩いていた。そして、「あの絵は雑ですね」と生徒が尋ねると、「あれはね、そこがポイントなんだなァ。」と教師は答えた。すると生徒が「自由ということですか」と。すると教師が「そうもいえるね。とにかく美術の部屋に行こう。自由だけど自由でないし、もっと自由だということがわかるから」とギャラリーを後にして立ち去った。
☆何だかワクワクしてきたので、付いていった。しばらくして、授業が始まった。そしてなぜ化学の教師があんな話をしていたのかが了解できた。
☆化学と美術がコラボして、授業を行うということだったのだ。三原色が無限の色を生み出すという授業。自由だけれど自由でないかもしれないし、もっと自由だという意味はこれだったのだ。湯川秀樹先生が、物事は複雑だけれど、その元をたどれば、シンプルな法則と語ったとどこかで聞いたことがあるが、その発想の授業だったのだ。と思ったとたん、
☆美術の先生は、子どもたちの知っているマンガ本を取り出し、この綺麗な表紙の色は、三色からできているんだと。すると、生徒は「スゲー!」と反応。オー♪たしかにスゲー授業だ。しかし、こうしてはいられない。これは先生同士の個人的なアイデアなのか、それとも聖学院の授業文化なのか?それを調べるためには、理科の授業をまず見に行かねばならないと、ウロウロしていたら、数学の授業の部屋に行きついた。
☆すると、パスカルの三角形の授業が行われていた。衝撃が走った。三原色にパスカルの三角形何かあると思ったが、生徒たちはまずは、気づいたことをシートに記入する時間だったから、その隙に理科の授業を捜索。
☆ガスバーナーの使い方を実験体験する授業やウミボタルの生態の実験授業を行っていた。
☆生徒の真剣な姿に感動しつつ、教師と在校生の丁寧なサポートぶりは、聖学院のサーバーントな文化が反映していると思った。しかし、それは作業や考えることをサポートしているだけではない。実験や観察によって、教室という物質的な空間は、知的な空間としてのデザインにシフトしていた。そのシフトチェンジのサポートをしていたのだ。なぜなら、実験や体験は、目の間に広がることを思考に変換する必要があるからだった。
☆隣のもう一つの実験室に、レポートが展示されていたが、いきなりレポートを書くのではなく、ワークシートでシミュレーションしながらレポートを書けるようにするのである。いったい何を?もちろん実験観察によって見出したシンプルな法則の検証である。とここで、またそうだ美術の部屋に行かなくてはと。
☆そこでは、上記の道具が生徒一人ひとりに与えられて、作業が始まっていた。ムム・・・。これもまた実験と同構造の授業ではないかと思いながら、生徒の作品を拝見。
☆フラクタルな図形に隣り合う領域にできるだけ違う色を塗っていく作業だった。三色が生み出す無限の色を創造している生徒たち・・・と思った瞬間、これって、パスカルの三角形ではないかと、あわてて、数学の授業へ。
☆ちょうどパスカルの三角形の法則について、色分けで解説しているところだった。そして次に思った通り、さらにこの法則を続けたらどうなるという問答が始まった。
☆そして、とうとうフラクタルという言葉がでた。フラクタル!現代数学の領域であると同時に、コンテンポラリーアートの手法である。村上隆の作品群はフラクタル感覚。そんなことを思っていたら、次には、パスカルの三角形のもう一つの法則を三色で塗った図形に移行した。
☆廊下で出会ったもう一人の数学の先生に、どうしてパスカルの三角形をテーマにしたのか聞いてみた。算数の段階でできるけれど、高校数学にまでつながる糸口でもあるからと。有限の感覚を打破するのにも、最適なテーマだと思うよと。算数から数学へ移行する体験だったわけである。「知のシフト」は、学力保証などという言葉を超えた生徒の成長そのものではないか。そこで再び、美術の授業へ。美術では三原色だが、化学では光の三原色。ここでもシフトがあるはず、見に行かなくては。
☆ちょうど、光の三原色の実験をやっていた。三色全部使うと、絵の具の時とは違い、白になるというところ。当然、生徒はなぜだろう?連発。
☆生徒一人ひとりに光学シートが配られ、蛍光灯の光を観察。虹だ!と生徒。三色を混ぜるのではなく、分解するという逆の思考作用を行った。比較・対照は、美術にとっても科学にとっても大事な要素。だからコラボができているのかと思っていたら、知のシートが配られた。
☆驚くべき結末である。色はあるのではなく、感覚器官が創り出すのである。パスカルの三角形は、それ自体が問題なのではなく、そこから無限の数の世界に到達する第一関門だったのであり、実験もまた物質があるのではなく感覚が結ぶ法則があるのであり、そこに到達するするための第一関門だったにすぎない。
☆知の探究は、教科に関係なく、すべてが知の冒険であり、英雄は必ず、門をくぐりぬけるかどうか、躊躇し悩む。しかし、そこに支援者や導師が表れて、背中を押してくれる。聖学院の知の物語の始まりが体験授業だったのである。
☆そしてこの物語は聖学院の文化そのものを編集しているリベラルアーツでもあった。英雄物語は、関門がいくつもある。超えるたびに喜びと感動と再び壁が現れる。そのたびに新しい支援者や導師が現れるし、いつもいっしょにいる仲間がいる。リベラルアーツの王道だ。
☆聖学院の生徒一人ひとりがリベラルアーツである聖学院物語の中で英雄である。世の中には物語を始められないで、関門の前で恐れ不安の影に怯える人生を送る人が本当は多いのかもしれない。なにせ学習指導要領では、リベラルアーツは忘却の彼方であり、故郷を喪失しているのだから。
☆偏差値という鎧を脱ぎ捨てよ、そうすれば、あなたの息子も英雄になれる、他校受験の生徒の保護者と共有したいものだと思いながら聖学院をあとにした。雨は上がっていた。
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