授業における断絶と対話
☆「世の中「知識方法論」が変わる[04]」のメモを書きながら、たとえば、知識が伝達される授業では、どのように伝わるのだろうかと(これはリーダーとメンバーでも同じだと思っている)教師と生徒と分けて考えてみた。
☆優秀な教師Aは、知識の4領域を広め深めている。しかし、もしその教師Aが、授業において生徒に知識を伝達するとき、生徒の知識の領域を考えなければ、たいへんなことになる。かりに「外延形式×外延内容」の意味領域しか知識を扱う意識が芽生えていない生徒Aの場合、生徒Aは教師Aの言っていることが75%はわからないわけだから、不安になる。
☆何を質問してよいのかその質問すらわからない。生徒Aにとって、教師Aとのコミュニケーションは不安型コミュニケーションとなる。もちろん、優秀な教師Aは、そこを洞察しているから、多少不安を生み出しながらも、そこから生徒Aの眼を開いていくように、他の3領域を開発するように授業を仕掛けていく。ここまで含めて優秀な教師ということだが、ときには、そこの洞察力がなかったり、そもそも自分が伝えている知識領域の差異を意識していない教師もいるだろう。すると、その教師とAタイプのような生徒との間では、コミュニケーションの断絶が生まれる。
☆逆に、意味領域の知識だけを伝達する教師Bが、知識の領域が拡大している生徒Bと授業をしたとしよう。生徒は意味領域の知識を広め深めるから、どんどん質問がわいてくるが、教師Bは、今はまだその質問ははやいとか、余計な質問はするなとまことしやかに諭す演技をして、結果的にコミュニケーションは断絶。生徒Bにとっては、絶望的なコミュニケーションとなる。つまらない日常をがまんして授業にでていなければならない。
☆ところが、教師Aと生徒Bが出遭ったらどうなるだろう。もうそれはクリエイティブなコミュニケーションで盛り上がるし、探求活動をして、論文などを共同で編集しようということになる。
☆もちろん、教師Bと生徒Aが出遭った場合も、コミュニケーションは不安でも絶望でもなく明るく幸せな雰囲気を生み出す。しかし、それがいかに表層的で上辺の会話であるのか、互いに気づかない。
☆授業とは、はじめからケース③からスタートするものではない。そういう優秀な教師と生徒が集まっている学校もあるかもしれない。欧米のリベラルアーツをベースにした私立学校はそうだろう。しかし、日本ではいわゆる偏差値の高い学校の中には、ケース②の学校もあるだろう。意外と多いかもしれない。だから、予備校通いが起こってしまう。
☆グッドスクールとは、ケース①からケース③にシフトできる成長・発達理論をもっている。学校選択では、不安型コミュニケーションを創造型コミュニケーションにシフトできるグッドスクールを探そうではないか。不安は創造の泉であることを認識している学校を!
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