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渋谷幕張 極限のエリートスクール

☆渋谷教育学園幕張中学校・高等学校(以降、渋幕)は、歴史的伝統という時間を別にすれば、極限のエリートスクールで、エリートスクールの中で、もっとも質と現代的意義を獲得した私立中高一貫校だろう。

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☆久しぶりに、入試対策室室長の永井先生にお会いして、お話をお聞きしたが、エリートスクールを驀進し続けているということを改めて確認した。

1)とにかく政財界に広く深い人脈を持っているので、常に最前線の横断的情報の収集ができる体制ができている。

2)それゆえに、グローバルな活躍を目指す人材育成のために最先端の発想を渋幕教育に活かすことができる。

3)同窓力も強化され、自前でキャリア教育のための講演や支援を得られるようになっている。創立の歴史を考慮すれば、特異な速さで同窓力が育ったといえる。

4)外国語や芸術教科で、かなり力のある教師の布陣を組んでいる。教師力こそ盤石な渋幕の教育を形成している。

5)依然として校長講話は渋幕の教育に大きな影響を与え、生徒の「自調自考」ベースの思考力を育てるトリガーになっている。

6)その結果として国内の難関大学、医学部に多数合格者を輩出している。

7)米国のアイビーリーグの大学にも多数進学し、ウィーン国立音楽大学ピアノ科へ主席で合格するような生徒がいよいよ輩出されるようになった。

8)リベラルアーツとそれを支える個の尊重教育が広く深く浸透している。

9)ユネスコスクールにも参加している。

☆東京の御三家でも、5)はないし、6)や9)も実はない。

☆御三家から海外の大学に進学する生徒はいるだろうが、海外大学進学の指導が学内にあるわけではない。生徒が自ら道を開くか、保護者のネットワークに依るものがほとんどだろう。ところが渋幕では、海外大学進学を指導できる教員が存在している。教師力の真骨頂がここに見られる。

☆9)については、田村校長は、元中教審のメンバーだったり、日本ユネスコ国内委員会の会長だったりするので、実行することが可能であるという点も大きい。

☆それゆえノーブレス・オブリージュを貫徹するエリートスクールとして極限にいたっているということなのである。

☆しかし、極限ということは、次はヴァージョンアップをするところまできているということも示唆している。ノーブレス・オブリージュのビジョンは、田村先生の母校麻布学園と共有するものであるが、ヴァージョンアップという点では、麻布はエリートスクールの極限を超越して、次の次元に進んでいる。

☆たとえば、ヴァージョンは、品川女子学院などと同じ地平に位置している。ただそこで破格の天守閣を建築したという大きな違いはある。

☆重要なことは、ヴァージョンの違いの方だが、これについては気づく人は少ない。偏差値主義の枠組みからそうはいっても逃れられない受験生やその保護者は、その違いに気づくのは難しい。

☆もしも渋幕自体が、その違いを受験生・保護者と共有できたとしたら、そのときは極限を超えたということになるだろう。

☆渋幕のヴァージョンアップはいかにして可能か?それは田村先生の母校麻布にこそヒントがあるのである。

☆田村先生は、アイデンティティを形成するための本を40冊を選択し、生徒の成長段階に合わせて紹介しているという。このことは日経ビジネス「日経BPムック」に載っているわけであるが、そこでは、アダム・スミスや丸山真男、サンデル教授をはじめとする18冊が紹介されている。

☆なぜこの18冊が紹介されたのだろうか?特別に公開されたからとある。ということは、この本の世界観が渋幕の世界や時代の認識のフィルターに重なっているということになる。

☆アダム・スミス、丸山真男、サンデル教授が紹介されている中で思想の最高峰であるが、これに対峙するヘーゲルや宮台真司、東浩紀、ローティといった麻布であれば受容する思想が選ばれていない。

☆前者はリベラリズムか保守主義である。サンデル教授は思想としてはコミュニタリアンであるけれど、知識人としては保守主義である。後者はリバタリアンであるかコミュニタリアン。宮田真司氏や東浩紀氏は、そもそもそのような座標そのものを破壊的に創造しようとしている。

☆日経や文科省、NHKが写し出す産業社会は、かくしてアダム・スミス的古典的リベラリズムである。しかし、あくまで、アダム・スミス「的」で、どちらかといえば功利主義・損得主義・優勝劣敗主義・勝ち組負け組主義である。

☆田村先生はそこに気づいているから、カントを持ち出すし、アダム・スミスの道徳感情論も持ちだすが、経済界はそこの部分は無視して「見えざる手」だけを強調するのである。

☆ここの微妙な差異を理解するのは難しい。

☆しかも、実は戦後教育基本法では、師の南原繁と弟子の丸山真男の関係もまた微妙。この法律の成立過程で、丸山真男は傍観していた可能性が高い。というのも、戦後教育基本法の成立過程には、リーダー南原繁を中心として内村鑑三と新渡戸稲造の弟子たちがメンバーだったということもあるからだ。

☆南原の兄弟弟子である大塚久雄は、マックス・ウェーバー研究家であるが、内村鑑三や新渡戸稲造のグループだっただろう。そしてもう一人の兄弟弟子が、麻布の氷上校長の父親でもある。だからなんだと言われそうだが、この内村鑑三の弟子である南原繁の弟子たちは、知的遺伝子を継承する一派でもあったということなのである。

☆その中で丸山真男は、程よい距離をとっていた可能性が高い。その丸山真男を18冊の1冊としてあえて選択した田村校長の志向性には、この知的遺伝子とはまた違う知的遺伝子があるのではないかと思う。

☆ノーブレス・オブリージュというイギリスのパブリックスクールや米国のプレップスクールに共通するビジョンまでは、似ているが、ヴァージョンというか質の地平は異なっているといえよう。

☆渋幕の次のステージが重要な局面に遭遇しているといえるのだが、OG・OBの中から次のステージにシフトする人材が輩出されることに期待したい。もっともエリートスクールの極限であるスペシャライゼーションとプロフェッショナリズムだけでは、突破はできない。新たなコペルニクス的転回が試されている。

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