首都圏中学入試2012[24]
☆というのも一つは、姉妹校である仙台の聖ドミニコ学院は被災されており、3・11の痛みを遠くの出来事ではなく、まさに自分たちが直接感じている私学であるからである。特に経営陣の聖ドミニコ会修道会のメール(いわゆるシスター)の方々は、頻繁に仙台と東京を行き来して、教育の情報交換をしている。それに年に一度は、ヴァチカンあるいはヨーロッパのドミニコ会に行って、祈りをともにしているはずだからである。
☆つまり、3・11以降に普段以上に多くの人たちが、忘れかけていた大切なものを身に染みて感じたわけだが、その大切なものを教育実践することを身に染みて了解している学校の一つが聖ドミニコ学園だからである。
☆それからもう一つは、昨年教育活動半ばで他界された長岡校長の最期の祈りのミサに参加することができなかったので、その聖堂を訪ねようと思ったからである。長岡先生がまだ教頭だったと思うが、雪の降る2回目の入試のときだった。寒いので、受験生や保護者はみな教室に入っていたから、中学の玄関前は一人雪かきをしている先生がいるだけだった。その先生が長岡先生だった。進学実績をあげつつ、ドミニコ流儀の教育の質を守ることに力を注ぐことは、社会の流れと本質のジレンマに立たされることでもあった。
☆修道会は、ドミニコ会に限らず、本質に立っている。恩師の一人ホセ・ヨンパルト教授は、私がかつて勤務した日能研で働くのを大いに反対した。立場と信念が一致しているから反対されたのだが、私の場合はその立場と信念が一致しているからこそ、そして恩師同様に本質を追究するからこそだったのだが。そんな対話をしながら、修道会と世俗の違いの統合は、自分で道を開くからと握手してクルトゥルム・ハイムを後にした。そんなことはいまだできていないし、できっこないが、ともあれ長岡先生の痛みもそれと重なってわかったような気がした。雪かきをしている姿は、修道会の庭の雪を一人かきだしている修道士のような雰囲気だった。
☆もっとも先生の目の前には、学園の聖堂があるし、マリア像もあったので、修道士のように感じたのかもしれない。ともあれ、その聖堂でまず説明会が行われた。待っている間、パイプオルガンの響きが美しかった。モーツアルトのアヴェ・ヴェルム・コルプスをオルガンでというのもよかった。長岡先生は突然倒れられてから、長い病棟生活だったから、そこから校長の仕事を続けていたのだろう。昨年は広報の先生方が、校長の身体を気遣いつつ、回復を祈りつつ、がんばっている様子が伝わってきた。
☆新校長のメール高橋先生は、その聖堂で学校の理念そのものであるドミニコの生涯を語った。
☆祭壇の背景にステンドグラスがあるが、これはドミニコの生涯を修道士が描いたものであるが、これに沿って話された。静かに話されたが、3枚目の絵については、とても大切な内容を指摘した。
☆当時バチカンは異端にどのように臨むか戸惑い、ドミニコに改宗の役割を依頼した。ドミニコは、夜を徹して対話する中で、改宗者を増やしていった。このステンドグラスの絵はその場面である。本質を共有することで新しい世界、新しい人をシェアする瞬間。
☆この話は、グッと来た。やはり今も本質を見失わない対話を、つまり真理を守るために、さまざまなフィルターや偏見、憶測から自由な対話の実践を継承しているということが了解できたからである。
☆そしてカタリナ棟のホールに移動して、説明会が始まった。なんとメール高橋校長の話は聖堂で行われ、説明会自体は小ホールで広報の先生方が行うのである。これほどわかりやすい信仰と世俗の統合されたカトリック学校はほかにないということを、受験生と保護者は身体を動かして体験できるプログラムであった。
☆なぜ統合されていたかと言うと、世俗の人間は聖堂では、自由闊達に話すことは無理であるが、小ホールではできる。なるほど教員は自由闊達にそれぞれが想いを話していた。大事なことは自由闊達に真理を話すということである。それができる環境をつくることができるカトリック校なのである。その証に、本質を大切にする対話で満ちている学校であることが、巧みなメディアミックス手法でプレゼンされた。
☆それに、学校説明会でここまでザックバランに話す教師の姿を見られるのも珍しい。いまどき土曜日が休みである学校は珍しいと思うでしょうし、少人数でやっていけるのかと思うでしょうと歯に衣着せぬ教務主任の生方先生の口調は痛快丸かじりである。しかし、大事なのは、でなければ生徒一人ひとりのタレント(キリスト教ではこれをとても大切にしている。AKB48も本当にタレントであればよいのだが、あくまでプロデュースされているからと、そのペルソナの差異に敏感なのもドミニコ生だが、その視点はここにあるなと思ったりもした)を育てることはできないでしょうと。
☆一人ひとりのタレントこそ、聖ドミニコの教師にとっては真理である。この真理をみえなくするものから自由であることこそ教育の質であると思っている。だから故長岡校長は、進学実績を上げることは経済原理の自由ではあるけれども教育の質としての自由ではないと思っていたのだろう。しかし、また、進学実績を出さないというのもタレントの真理を見出す自由の存在に背を向けさせることにもなるだろうと。
☆受験勉強に特化しなくても、タレントが育つ自由な教育を行えば、進学実績も結果的に出るだろうと教師が一丸となって立ち臨めば道は通じるのであると、真の道にほかなしと何度も言い聞かせていたに違いないし、そう祈っていたに違いない。
☆そしてそこに迷いはないのだというザックバランで力のある教務主任の話しぶりは、受験生と保護者の心を動かしていた。何より、卒業生の中2のときと卒業した時のインタビューのビデオを説明したり見ているときの生方先生の眼差しは、あの雪の中の長岡先生の眼差しと同じだった。本質への優しさと生徒への気遣いは同じ真理であるという眼差し。
☆さらに、やっぱり女子校のすごさを感じたのは、広報主任の島田先生の包み込むような対話力。なるほどなぁ。ドミニコの対話手法そのものでもある。互いの痛みをスーッと共有する感覚なのだ。
☆子育て、受験、直前といった一連のイベントで生まれる悩みや痛みのその気持を共にしましょうという雰囲気が全開。会終了後もただ見送るのではなく、飛び回りながら声をかけ感謝と励ましの声をかけている。いまどき得難い人材。
☆しかし、これは程度の違いこそあれみなそうなのである。困っている人がいたらすぐに飛んでいく気遣いのスピードがスゴイ。ナチュラルな奉仕の姿勢とでも言おうか。
☆さらにとてもおもしろかったことは、入試傾向の説明をする国語と数学の先生。入試傾向を話すというよりは、入試問題を手に授業が始まってしまうのではないかと思うような語り口調。こうやったら解けるでしょうと話し出す。
☆だから、この時期としては、結構時間の長い説明会。効率よくコンパクトに催す学校説明会が多い中、一人ひとり先生方が、役割以上の話をするから、どんどん時間が長くなる。なるほど、たしかにプログラムには「13時~」としか表記されていないはずである。
☆夜を徹して対話するドミニコの姿勢そのものである。真理を共有するのに、かりに一日かけたとしても短すぎるのである。進学実績、業界の常識・・・そういったものが真理を見えなくするならば、そこに挑む自由の気概こそドミニコ。厳寒に立っていた長岡先生の姿だったのである。
※大学進学実績
2012年1月13日現在で、AO及び推薦入試で進路が決まっている生徒は、36人もいる。その中でいくつか例を挙げれば、
学習院 1名
上智 1名
中央 1名
早稲田 1名
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