« 首都圏中学入試2012[53] | トップページ | 首都圏中学入試2012[55] »

首都圏中学入試2012[54]

☆今の中学受験生が中高、大学と進み、社会に出るまで、そして出た後の社会は確実に変わっている。その社会でサバイバルできるだけではなく、そのような社会を共に創造する知識人や起業人、政治経済・福祉のリーダーとしてのグローバル人材が生まれる学校は、何が違うのか?それは知識コミュニケーションから最近接コミュニケーションにシフトしている学校ということである。

Proximalcommunication1

☆知識コミュニケーションとは、高校までだと大学入試に対応できる知識の体系を理解し、活用できるようになるためのコミュニケーションである。暗記とか記憶とか、コミュニケーションにとっては大切な機能の一つであるが、この機能だけが化け物のように肥大化した印象の強いコミュニケーションのことである。一方的に伝達され、理解したかどうかは聞き手の、つまり生徒の自己責任である。落ちこぼれがたくさん生まれるから、公立高校は偏差値で輪切りして振り分けてしまう制度を支えるシステムで行われているコミュニケーションである。そのコミュニケーションが、学校生活で最も長い授業で行われているからたまったものではない。

☆勝ち組負け組製造システムである。ここでのコミュニケーションは、勉強しないと負け組になるよという強迫観念が蔓延している。自己否定感のマイナス雰囲気が広がっていることはいろいろな調査で明らかにもなっている。

☆この20世紀型の官僚近代社会における知識コミュニケーションに対し、勉強しなさい理解しなさいと言っても、単純に知識が不足しているから勉強できないとか理解できないというのではなく、なぜ知識が覚えられないのか、論理がゆがんでしまうのか、その理由を教師と生徒の「対話」によって見出し、それを共有していくコミュニケーションを最近接コミュニケーションと呼びたい。

☆知識コミュニケーションでは、ひたすらあらかじめ与えられた知識を過不足なく覚え、できるだけ効率よく活用することを競い合う完成化モチベーションが重要である。つまりスコア主義、偏差値主義で、GDP主義の背景にある価値観である。

☆これに対し、最近接コミュニケーションでは、一般化された知識やルールを自分なりの理解や論理で活用しているという知識の自己化の原因に気づき、それを一般化していくために共に学ぶことが中心で、この気づきの連続が成長発達を促し、その成長発達感がモチベーションになる。

☆そして大事なことは、知識コミュニケーションには与えられた体系が論理の限界であるということだ。だから、この与えられた知識の体系をできるだけ正確に完成の度合いを高めていくことができなければ、そこから脱落してしまう。初めは意気揚々と知識の自己化から放たれ自己変革の感覚を味わっているだろうが、やがて中には脱落して自己否定感にさいなまれ、負け組としての感覚を本当は外から課せられているのに自分のせいだと思ってしまうことになる。これが公立中高一貫校であり、高校入試のある中学と高校の場合はなおさらである。もちろん、偏差値によって振り分けられているから、就活の段階まで、なかなか気づきにくい。

Proximalcommunication2

☆ところが、最近接コミュニケーション中心の学び学を実践している私立中高一貫校は、自己改革でとどまらず、さらに与えられた知識体系の矛盾やパラドクスを指摘できるメタ認知の力を身に着けるまでに成長する。これが「創造」的思考力を生み出す原動力である。

Proximalcommunication3_2


☆この一般化された知識やルールの形骸化されたところを見抜き、成長していくには、「思春期学」が必要である。この学びは、学習指導要領にはない領域である。したがって、制度上公立中高一貫校や公立の中学・高校には、この学びがないのである。

☆こういうと必ず、公立でも創造的人間は育つという方がいらっしゃる。それは全く否定しない。公立の先生の中にすばらしい教師がいることも事実で、その先生に出会ったら、そうなるだろうが、それは制度設計上、システム上公平でない。システムである以上、公平性、正当性、信頼性、妥当性の評価を積み重ねていかねばならない。すべての教師がそうならねばならない。

☆そこにいくと私立中高一貫校は、独自の建学の精神という理念をすべての教職員が共有しているから、思春期学をやると決めた学校は、全職員が共有するのである。

☆ところで、思春期学とはどこにあるのか。この名称の学問はまだない。しかし、思春期学の系譜はJ.J.ルソーの系譜である。この系譜は、明治政府が、もっといえば東大の初総理である加藤弘之が捨てた系譜である。これは実は民法典論争にまで波及し、ここで吉田松陰の門下生の活躍は途絶えるのであるが、かくして官僚近代教育が今に続くのである。

☆一方≪私学の系譜≫は、このルソーの系譜を継承する。この系譜は、やがてカント、ヘーゲルが引き継ぎ、ピアジェにつながり、ヴィゴツキーが引き継ぎ、デューイに引き継がれ、よってプラグマティズムに引き継がれ、89年ベルリンの壁崩壊後の新しい学習理論に寄与したMITラボのシーモア・パパート教授などによって継承されている系譜である。

☆この中でヴィゴツキーは、最近接発達領域という重要な成長領域を発見する。この概念は、今では特に第二外国語習得方法論における中間言語分析で応用され、広く実践されている。この領域の発見は“interaction”によって行われるとされている。したがって、領域という静的な表現からダイナミックな最近接コミュニケーションという表現に発展しているのが実情である。

☆この第二外国語習得方法論のうち、特に認知心理学・科学的手法を活用している方法論が最近接領域を中間言語分析によって発見するとあるのだが、この認知科学という構成主義の学びの発達理論をつくったのは、ピアジェやヴィゴツキーである。もちろんシーモア・パパート教授は構成主義に基づいている。

☆公立の先生も実はこの第二外国語習得方法論を真摯に学んでいるが、それが方法論で終わり、授業実践として広まらないのは、日本の教育行政が、制度上ルソーを捨てているからなのである。エミールを好きな教育学者もたくさんいる。しかし日本の近代学校制度においてエミールの環境はない。自然法は捨てられているのだから。全体意思はあっても一般意志はないのだから。

☆1889年明治憲法が成り立って以来の制度をどうやって変えるのか?難しいだろう。変える動きが日本国憲法だったし、戦後教育基本法だったのであるが、後者はすでに改定され骨抜きにされ(幼保一体の動きの中で、いまだに私学助成金の無効化を訴える有識者がいるぐらいだ)、油断すれば改憲話になる。だから、まずは実践している私立学校を探し、検証することからはじめる。つまり隗より始めよ戦術なのである。いま・ここでは、制度が変わるのを待っていられないのだから。いやむしろ改悪のほうが怖い。

☆それはともかく、思春期学は、学校によって特徴がある。この特徴がそれぞれの私立学校の独自性を最も輝かせるだろう。

☆たとえば、鴎友学園女子。ヘーゲリアン的なエリクソンの心理学を教育の中に応用して、創造的環境の教育をつくったのはあまりに有名。その成果はでている。今年も人気がある。

☆共立女子もおもしろい。思春期学は、読書と作文、アート、数学的コミュニケーション(これこそ最近接コミュニケーション)や教科横断的かつ参加型学びの実験の集積がすさまじい。やはり今年も応募者数は多い。

☆聖学院は、授業そのものに、知識コミュニケーションと最近接コミュニケーションの両方を埋め込んでいる。鴎友や共立にしてもすべての授業でそうなっているかというと、どちらかというと授業は知識コミュニケーションが中心で、特別プログラムとして思春期学に相当するものが設定されているという感じだが、聖学院はすべての授業そのものがそうなっている貴重な学校である。さまざまな成果を上げていくだろうが、まだまだこの重要性に気づかれていない。

☆洗足学園は、中学では、「知識コミュニケーション/最近接コミュニケーション」であるが、高校からは「最近接コミュニケーション/知識コミュニケーション」という地と図が逆転するスリリングな脱シラバスプログラム。この意識を明確に若手の現代国語の教師陣が持っているのはアドバンテージが高い。英語教育はもともと豊かであるから、最近接コミュニケーションは当たり前なのであるが、日本語でも横断的に行われると、言語活動としての飛躍が起こる。これこそグローバルな教育である。海外大学でも日本の難関大学でも合格していく勢いの秘密はこの「言語」の強さにある。

☆かえつ有明は、「サイエンス科」という独自の最近接コミュニケーション専門の教科を作り上げてしまった。その有効性がやっと気づかれ始めている。来年度以降は、この手法を全教科に埋め込んでいくプロジェクトが立ち上がっている。大事なことは、知識コミュニケーション能力を測る偏差値がかりに低くても、最近接コミュニケーション能力は向上するということが大いにあるということなのだ。だいたい偏差値で能力を評価することなど欧米にはない。ハーバード大学の偏差値など聞いたことがないのはそういうことだ。つまり、知識コミュニケーションは自らを超えることができない不自由さがあるが、本来学びは自由であり、その自由な感覚を得た生徒は、世界が開けるのは明らかだろう。問題はその開く方法論だ。それが最近接コミュニケーションである。

☆富士見丘も「自主研究5×2」がそれである。この研究のドキュメンタリーを見た受験生や保護者の驚愕はすごいものがあるが、まだまだ気づかれていない。気づいた人は幸せだろう。

☆海城学園は、中学で帰国生を募集したり、コミュニケーション授業やドラマの授業など新しいプログラムやプロジェクトを実施しているが、これらはすべて最近接コミュニュケ―ションのプログラムだといっても過言ではない。すでに社会科では、ずいぶん前から授業そのものでも実行されている。

☆麻布学園は、有名な「論集」を発刊しているが、最近接コミュニュケーションの成果である。では論文をだしている他の学校は、すべてそうかというと、それはそうではない。書かせっ放しや大学入試の小論文指導などは、どうしても知識コミュニケーションになってしまう。この知識コミュニケーションでは、大学入試の知識体系を超えるものは100年早いと言われるぐらいである。

☆広尾学園の人気と実力は、この最近接コミュニケーションが、あらゆる教科、教育活動で行われているだけではなく、大橋理事長と保護者との対話の中に貫徹していることによる。コミュニケーションが重要であると言われている時代。しかし、それは知識コミュニケーションから最近接コミュニケーションにシフトすることでなければ意味がない。大橋理事長は、新しいパラダイムをすでに自ら実行しているのである。

☆八雲学園、もう高い人気をどれくらい継続しているだろう。この人気継続が、最近接コミュニケーションの有効性を明快に物語っている。というのも近藤理事長の語ったことについて、教師と生徒が毎日振り返る習慣ができている。これは女子学院や普連土、立教女学院の礼拝で行われていることと同構造。キリスト教であるかどうかの違いこそあれ。そして教師と生徒の最近接コミュニケーションが「チューター方式」というシステムとして根付いているということも大きな理由である。共に生き、共に学ぶ21世紀型の人間関係が形成されている。

|

« 首都圏中学入試2012[53] | トップページ | 首都圏中学入試2012[55] »

中学入試」カテゴリの記事