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大学入試から見る中高一貫校[08]

☆大学に突きつける学問の言論とは、もう従来のような大学入試は辞めようよということである。それでは、どんな入試をすればよいか?SNSを使って、基礎的な問題はできればそれでよいではないか。アイデンティティが身体内部の脳内記憶に依拠する時代ではもはやない。コミュニケーションは、すでにつながりとつながりの対話なのである。先人との対話、友人との対話、見識者との対話などをいっぺんに統合し、それを参照しながら話し合う時代である。それがコミュニケーションのシステム革命である。

☆そして、あとは論文をきちんと審査して合否を決めるシステムにする。採点するのに時間がかかりすぎる!と気の抜けた反論はもうやめよう。第2のIT革命は、そこをクリアするコミュニケーションシステム革命なのである。

☆こうなってくると、究極的には〇〇大学など意味をなさなくなるわけだが、そう一足飛びにはいかないのは、しかたがないか。いずれにしても〇〇大学という肩書はもはや必要ではない。何を学び、探求し、発見し、学問芸術(広義の意味で)の限界を日々新たに超えていくかが生きがいになるのである。

☆そんなことは可能なのか?すでにいろいろな中高でやっているが、その代表的な学びが立教女学院の卒業論文編集であることは、「大学入試から見る中高一貫校[05]」で紹介した。この卒業論文の発表のイベントについて、立教女学院の山岸教頭から、次のようなコメントをいただいた。

今年はテーマがさらにユニークなので、準備にも力が入っています。3月末には、また論文集が出来上がります。

ことしは卒業生1名(大学4年生)も話をします。彼女は外資系のコンサルタント会社に就職が決まっているのですが、内向きな日本に勇気を与えてくれそうなお話しになりそうです。

☆大学進学のために論文編集を学んでいるのではないことが了解できるだろう。このような学びの精神を活かすのが大学の学問の自由のミッションであるはず。

☆そんなことを思っていたら、ある学校の進路指導部長から、こんなメールをいただいた。

・・・・・・立教女学院の記事から、三国志の「劉備の能力と君主の条件」が目にとまり、実にうらやましい教育内容とつくづく感じ入った次第です。

以前にもお話したかと思いますが、小生、三国志は非常に好きな書物の一つであり、今でも、色々な三国志関係のものを読んでいます。劉備に関しては、聖人君子のように扱われている演義をベースにしたものもあれば、侠の首領という扱いのものもあり、どちらで見るかによってリーダー論の展開も変容するように思いました。しかしながら、その結論の中に共通して求められる資質、もあるのでしょう。

そして、そのときから孫氏の兵法に数字を用いた戦術論もありましたし、兵站線の確保とその補給量の計算、それを革命的に減少させた孔明の木牛流馬など、考えていけばきりがないくらいのものが出てきます。

こういうテーマを選ぶ生徒の育成とその指導が出来る先生がおられることに、立教女学院の生徒は非常に恵まれていると思いました。

☆教育の本質に共振共鳴する先生は、他にもいらっしゃるだろう。この心を響かせる教育を広げ深めていくために大学入試は機能しなければならないのではないか。

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