大学入試から見る中高一貫校[17]
☆「東京私立中高等学校公開研究発表会」として、かえつ有明では「サイエンス科」の研究発表があったわけだが、サイエンス科の主任の山田先生の当日のナビゲートによると、「生徒が考えるのが苦手なのはなぜだろう?考えることが楽しく、自分を成長させるのにとても大切なことなのだということを生徒が実感して、だから自立して学んでいこうとならないか。そうするための学習スタイルやストラテジを身に着けるプログラムはないものだろうか?」という疑問から出発したということだ。なるほど、これは<いま、ここで>をクリティカルシンキングしてそこから問題解決の糸口を見出していく一般化の過程が大切というサイエンス科のプログラムの発想そのものではないか。
☆そのためには、すべての教科で、心をひとつに考えるという作業をやらねばならない。と普通はそうなる。たとえば、原子力発電について、原理については理科で、社会的な背景については社会科で、文献調査は国語科で、海外の資料については英語科で、情報公開については技術家庭科で・・・と。
☆しかし、このやり方では、継続性がない。実際、今回の授業公開のあと振り返りとして学芸大学の副学長佐藤教授が、かえつ有明の試みについて講評を語ったときに、「かえつ有明のような総合学習を行っていたら、うまくいっていたが、実は教科横断的にやろうといっても、そのスキルがわからなかった。だから、なんとなくやってみたが、うまくいかなかったのだ」と解題されていた。
☆ではどうするか、佐藤教授の指摘のように、スキルトレーニングをすればよいのだということになったという。どんな教科でも、テーマを読み取ろうとするし、聞き取ろうとするし、語ろうとする。そのテーマを、主題とよぶか、トピックとよぶか、スキーマとよぶか、中心文とよぶか、キーセンテンスとよぶか、それはさまざまであるが、このスキルのトレーニングはしていると。
☆トピックセンテンスがでてくれば、なぜそうなのか理由を読み取ったり、考えたりする。違う考えも予想されるわけだから、そのような違う種類のものと比較したり対照したりする。そして、再びその違いも出てくるだろう。
☆意見に対しては予想される反対を想定したり、さらにその反対を考えたりもする。そして最終的には、そのような根拠の材料を編集して、自分の考えを相手に伝える。これらのスキル一つひとつは、呼び方の名前は違うが、取り扱わない教科はない。
☆もっとも大学入試に合わせてカリキュラムを作ると、知識を暗記するだけのトレーニングだけで済むからきわだってスキルトレーニングなんてカテゴリーはいらないのである。
☆だから佐藤教授は「かえつ有明の試みが新しいのは、このスキルトレーニングのカテゴリーを明確に基準化し(キーコンピテンシー)、どの教科でも、そのスキルトレーニングを取り扱うように教職員が一丸となったところですね。しかし、一般には、この意識はないので、それゆえ総合学習はうまくいかなくなった。今移行措置で行われている新学習指導要領には、このスキルを明確にして活用して思考力や言葉力を鍛えていく21世紀型教育が盛り込まれているのですが・・・。」と。
☆それゆえ、かえつ有明のサイエンス科の試みは、先取り的なのだと。つまり最前線を歩いているよということである。山田先生も、今回はそのスキルをトレーニングした成果を具体的な各教科の素材で活用していくというチャレンジをした成果発表が今回の公開授業であると語っていたから、教育現場と学問見識とが見事に一致したことになる。
☆しかし、おもしろかったのは、佐藤教授のもののみ方とかえつ有明の発想とのズレが一点あったことだ。佐藤教授は、このサイエンス科の手法は、構成主義的学習の発想であり、それゆえ21世紀型教育だし、新学習指導要領の先取りをしているのだと。この点に関しては、MITメディアラボにも実際に行って研究しているベネッセの小村氏やあのビルゲイツが支援しているチャータースクールのプロジェクトベース学習を研究しているベネッセの児浦氏といっしょに公開授業を見て回りながら、「シーモアー・パパート教授のようなコンストラクショニズムじゃないかこれは、やるなァ。すごいな、日本で見られるとは!」といっしょになって驚愕していたわけだから、そこまではたしかに一致しているのだと思う。
☆しかし、佐藤教授がこの構成主義的学習から獲得できるクリティカルシンキングは、知的側面の育成をするだけではなく、態度形成もするのだと語ったとき、あっなるほど違うなァと感じたのである。
☆つまり、佐藤教授は本物の科学者だったのである。教育学といえども、目の前の生徒ぬきでは、その理論は語れないのである。どういうことかというと、基本的には学芸大や東大の教育学部では、教育の研究対象は、公立学校なのである。そこでは、知の格差があり、その格差がさまざまなゆがみを生んでいる。学級崩壊などという言葉が使われていたこともあるほどである。それゆえ、道徳的な態度をいかに形成するかは重要な課題である。
☆ところが、良し悪しは別にして、私立中高一貫校は、入試があるから、ある程度勉強していくる。学びがプレイフルでフロー状態をつくる知的作業で結果的に素直で謙虚で傾聴するまなざしという態度になる。しかし、それはそういう態度をとりなさいと言われてなるのではなく、学びはそうなるものなのであるという状態になっている生徒が集まっているのである。
☆だから道徳を振り回したり、規律型の授業では、生徒はみんな静かに別のことを考えている。自立した学びこそ楽しいのである。しかし、それはファニーではなくインタレスティングということ。だから姿勢は没頭する姿勢が故に決して背筋が伸びているというわけではない。
☆外生的態度ではなく内生的態度が重要なのである。公立の場合は、まずは外生的態度こそが重要なのである。それを内生的態度に変換するために構成主義的学習観にもとづいたクリティカルシンキングが活用されようとしているというわけである。
☆だから、かえつ有明の構成主義的学習に基づいたクリティカル・シンキングは、新学習指導要領も超えている可能性があるし、そのままモデルとして活用しても、またまたうまくいかないであろう。
☆なるほど、かつて苅谷教授が、総合学習は私立学校のようなレベルの高い機関でこそ成功するのであって、公立学校では難しいと、ゆとり教育の中で大反論をしていたのは、そこだったのかと今更ながら気づいた。(つづく)
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