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大学入試から見る中高一貫校[18]

☆[16]からかえつ有明の「サイエンス科」の試みを書いているが、これもまた大学入試が転機を迎えている兆しなのである。なぜなら、日本の大学は、とにもかくにも変わらねばならないと当局も政府官僚も、企業も考えている。グローバル人材育成するためにとか、秋入学しようとか、それらはすべて変わらねばならないという発想から発出しているのである。

☆しかし、今の大学入試があるから、変わらないのであるというのが通説、俗説、常識であった。ところが、かえつ有明の試みは、今の大学入試がどうあれ、考える時間や語る時間に没入し楽しめるようになれば、大学は必然的に突破できてしまうという道を開いてしまった。

☆これは、80年代に、創造力が満ちている雰囲気の学校になれば、大学入試の実績はあとからついてくると哄笑した当時の伊藤校長の言動に似ている。伊藤校長率いる鴎友学園女子がその後どう大きく成長したかは説明するまでもないだろう。今回の東京私学教育研究所所長の清水先生は、前鴎友学園女子校長であり、若き頃伊藤校長とともに改革に辣腕をふるった戦士でもある。公開授業のために用意されたコンセプトと各授業のシラバスの冊子を読んだ瞬間にピンときたという。公開授業の挨拶の前に、少しお話を伺ったが、「実に興味深い」と語ったときの子どものような表情は、鴎友精神が蘇っている瞬間であったと思う。

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☆上記の写真にある「情報収集」「情報整理・分析」「情報・統合」という思考のレベルは、米国の教育の中では定番のタクソノミーという分類やOECD/PISAの分類方法などを研究した成果であるということだ。そしてこの思考のレベルを身に着けるためには、ただ闇雲に本を読めばよいとか、ショートエッセイを書けばよいというわけではなく、右の欄にあるように、詳細なスキルトレーニングのメニューがあるのである。

☆そして各教科のシラバスはまるでレシピのようになっていて、この思考のレベルやスキルトレーニングメニューが刻印されているのだ。

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☆おもしろいのは、上記の各教科のシラバスは文字量が多い。しかし、下記のサイエンス科のシラバスはシンプルである。

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☆なぜこのような違いが出るのか。それは各教科は素材が必要なのである。歴史の時間に村上春樹の作品を読むようなことはめったにない。国語の時間に世界史の教科書を活用することも同様だ。各教科には各教科の素材があるのである。その素材をうまく活用するためにスキルが重要であり、素材ができるだけおいしい料理になることが、つまり理解の最適化が目標なのである。ところが、サイエンス科はあらゆるものが考えるための素材で、料理をすることが目的ではなく、つまり、素材の理解の最適化が目的ではなく、スキルを最適な状態に磨くための練習として素材は活用される。

☆それゆえ、山田先生は、教科はコンテンツベースで、それを下支えしているのがスキルトレーニングであり、サイエンス科ではコンテンツとスキルの関係は、教科とは主客が違うのだと。しかし、両方に共通しているのは、スキルがベースであることに違いはない。だからこそ、スキルベースで教科横断型カリキュラムを組むとシナジー効果が出るというのである。

☆なるほどである。理屈はよくわかった、では授業を拝見しようではないか。

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(授業を見学しに行く途中で、ギャラリーコーナーもあった。在校生が校内案内も)

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(コンテンポラリーアートと同じように、学習のプロセスが展示されていた。アウトプットとは成果物だけではなく、その過程、ポートフォリオが大切。これがまた新しい評価システムである。佐藤教授が提唱されるルーブリック評価が生まれる泉である)

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☆上記写真は技術家庭科の授業。21世紀型教育には、電子教科書とか電子黒板などのICT導入という要素もあるが、しっかり電子黒板を活用している。そして、21世紀型教育で大事なのは、チーム学習と教師のマルチロールプレイ。あるときは教える役割、あるときはコーディネートする役割、またあるときはコーチとしての役割・・・。一枚の写真で、それらを読み取ることができるだろう。

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☆上記の写真は、サイエンス科の授業。生徒が語り合いながら、調べらるように、ワークシートやカードなどのファシリティが巧みに活用される。これらは思考の型=フォームを表現したものである。この型にそって思考が促進する。ここでは教師はファシリテータ。

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☆ワークシートやカードは、型ではあるが、まだまだ要素一つひとつの型である。それがどのように関係づけられるのか。論理的につなげてねという指示だけでは、できる生徒とできない生徒の格差ができる。それをなくすために、全体の型をしめす。この中に要素の型を配列していけばよいのである。反論の反論があるのが、とても優れているところだ。実はここがクリティカルシンキングの肝。多角的な視点を身につけようと指示しても、どうすりゃいいのだで終わるのが一般的だが、このフォームに乗っかれば、ストレスレスに考えることができる。このようなフォームを使うと形骸化するとか形だけだと批判する人もでてくるが、そういう人は一面的な考えしかできない人だろう。薬も粉薬をそのまま飲むより、オブラートやカプセルがあると飲みやすい。しかし、それらは体内では消えるから、薬の効きめは同じである。ベルトコンベアーみたいな比喩だけをだして批判すると、その批判に反論する生徒がでてくるのである。

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☆上記写真は、実際に話し合いながら、パーツのワークシートやカードに書き込んだものを、全体のフォームに張り付けながら、論証のプレゼンをしている場面。なかなかのものであった。

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☆上記写真は、別のサイエンス科の授業。最終的には、自分一人で課題を発見して、調べて、編集して、プレゼンをする。部分の型と全体の型は脳内に溶け込んで、自在に構成できるようになっている。しかし、ここでよーく考えてみよう。パワーポイントというプレゼンテーションツールは、実は型をシステム化したものであり、業界別業種別マニュアルの型が埋め込まれている優れものである。サイエンス科のエッセンスが詰まっているともいえる。これはビジネスシーンでも、学会発表のシーンでも広く使われているツールである。さすがはアメリカ製品で、プラグマティックにできている。構成主義的発想の学習を認めない人はプレゼンテーションツールも実はワードプロセッサーも使うことは認められないのである。そんな頑固者は今ではあまりいないのではないだろうか。

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(これは2時限目。1時限目、大木先生はサイエンス科の授業を行っていて、2時限目は専門の現代国語の授業を行っていた。しかし、見事にサイエンス科の授業とシンクロ。)

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(「走れメロスの英訳版と太宰治の原文を対比して表現の違いを議論しているチーム)

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(太宰治がカバーしているのはシラーの作品だと生徒が説明してくれた。)

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(21世紀型教育では、あらゆる空間が学びの空間に変容する。思考とはトランスフォーメンションなのである。これはアフォーダンスという認知心理学の応用)

☆いっしょに見て回っていたベネッセの中野氏は、この国語の授業をみて、「インターナショナルバカロレアのワークコースみたいですね」と驚嘆。「そりゃそうでしょうね、高校の帰国生はすでにIBのディプロマコースの一つのプログラムに基づいたTOKを実施しているから、中学のサイエンス科とはシナジー効果があるのでは」というような会話ができる公開授業でもあった。

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☆何気ない世界史の授業のように見えるが、明確に情報整理・分析をやっているんだという意識を教師と生徒が共有しているところが違うのである。意識しているのと意識していないのとでは、大違いである。意識すると見えるが、意識しないと見えないものなのだ。

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☆まずは、意見を構築することをみんなで並べ替えながらフォームをつくる。そのあとチームにわかれ、オリジナルの文章をつくって発表。考える姿勢、聞く姿勢、発表する姿勢。思考とはトータルな活動であることがわかる英語の授業。

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☆もう一つの外国人講師の授業でも、カードは大活躍。

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☆大事なことは、そこで行われる英語による問答である。この問答の中に実はちゃんとフォームが埋め込まれている。どうやったら質問できるのだろう。下記のようなメニューが各人の机の上に配置されていた。

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☆今回は中2と中3の通常の授業が公開されていた。このイベントのために特別に創られたのではないのである。これだけ、全教科が緻密に授業をスキルベースで組み立てることができるようになるのに、6年かかかったという。

☆そして、この6年間の学びの雰囲気が、新かえつ有明の中学1期生が6年たって今年卒業するときの大学進学実績につながっていることは間違いない。OECD/PISAの報告でも「クラスクライメット(学級雰囲気)」が学力向上に重要な役割を果たしているとされているが、それが真理であることも、かえつ有明の教育実践は証明しているといえよう。

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