東大合格発表の季節2012 [01]はじめに
☆恒例の東大合格発表のシーズンであるだけなのだが、それだけに気になった。というのも東大には大きな歴史的に対決し続けている2つの思想がある。それは東大初総理加藤弘之やその後の法律進化論者に見られるように「優勝劣敗思想」であり、もう一つは戦後の東大総長南原繁やその後の矢内原忠雄のように新渡戸稲造、内村鑑三の精神を継承するキリスト教的「啓蒙思想」である。つまり現代でいうロールズのような「公正としての正義の思想」。黄色の意味は、両思想ではとらえ方が違う。
☆それはともかく、東大の合格発表を見ておくことは、日本の教育文化を形成してきた拠点だけに重要である。ほかの国立大学は、圧倒的に公立高校出身者が多いが、東大だけは私学出身者と公立出身者が拮抗しているのである。
☆東大ピラミッドの学歴社会。京大は次元を異にするのではなく、富士山の南斜面に位置する宝永山のような存在。根っこはいっしょで、頂点の位置がズレているだけで、ドメスティックな学校化社会のなかで特色を出してはいるが、まだまだグローバルではないだろう。
☆したがって、3・11以降、転機を迎えている学校化社会であるが、そのためには、外圧か国内の中から内発的に変わるしかないが、現状では外圧と言っても、明治維新当時とは違い、それはあまり望めない。むしろ日本の学校化社会が内発的に変化――つまり東大自体が変化――し、世界市民の協力態をともに形成していく道行が速いだろう。
☆そういう意味で、そのような意味でのグローバル人材を輩出する期待値が高い機関が東大である。もちろん、大学など関係なく、個人で世界に影響を与えるような人材は生まれている。しかし、それは誰でもがもっているリソースや条件で成れるわけではない。個人の確固たる資質がものをいうわけだから、そのような人材研究は別途必要であるが、ともあれ、その数は一つの大きな流れをいまのところ作っていない。
☆一方東大という機関は、偏った思想や価値観が暗黙知として形成されるわけではなく、公正としての正義(市場の条件によって多様ではあるが)の考え方や価値観も育つ可能性がある。その可能性のほうが、個人の資質だけにたよるよりは、公正としての正義を有したグローバル人材がたくさん生まれる可能性がある。
☆そして、その可能性を支えているのが、進学者の中高時代の学校環境なのである。同窓力という言葉があるほど、中高時代の学校環境は人格形成に影響を与える。思春期、疾風怒濤、青春時代・・・という言葉は、多くは中高時代のことをさしている。それゆえ、どのような中高から東大進学者が多いのかは、日本の未来を予想する一つのデータになるのである。
☆東大進学の背景である中高は、4つのカテゴリーに分けられる。首都圏の私立中高一貫校に限れば、Ⅰ領域に20%、Ⅲ領域にも20%が位置し、残りの60%がⅣ領域に位置するだろう。
☆公立高校は、そのほとんどがⅢ領域である。もちろん、個々人には、Ⅰ領域などほかの領域に位置している教師や生徒もいる。公立学校から海外の大学に留学する生徒の中には、ⅠやⅡの領域に位置している生徒もいるだろう。
☆しかし、機関としてはⅢである。ただし、堀川高校のような公立高校は、理想としてのビジョンはⅡの領域にあるのかもしれない。
☆ところで、公立こそ公正としての正義が働いているのではないかといわれるかもしれないが、形式的平等の名のもとに官尊民卑、学尊民卑、大企業主義という優勝劣敗主義が作動していることは、3・11で表面化したのは、だれでも認めるはずである。
☆このような主義に従っている日本の学校化社会が変わらねばならないとは、実際には多くの人が気づいていることだろう。
☆そのためには、東大進学者の中で、Ⅰ領域の中高出身者がシェアを広めることは肝要である。もちろん、Ⅰ領域の中高出身者が、海外の大学に行っていしまう流れができつつあるのも、それは一つの道であり、その道が幅を広げることも重要である。
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