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大学入試から見る中高一貫校[24]

☆秋入学、クオーター制、受験の高校回帰というキーワードが飛んでいるのが、2012年の大学入試や中学入試。これらは、一見すると矛盾する。というのも、前者2つのキーワードはグローバルゼーションの対応の話で、高校回帰はドメスティックでガラパゴス的な話題。

☆しかし、これらがつながっているのである。というのも、グローバル人材と言っても、政府の意図するところは、それは名ばかりで、国民国家を背負った国家利益優先を果たす人材のことを意味している。

☆そして、高校回帰というのも、思春期の大事な中高のつなぎめを、入試で覆い隠し、思春期で身をもって体験する社会や世界に対する問題意識やパラドクスの発見の機会をむしり取ってしまい、国家利益優先を果たす国内での人材を作り出すことに寄与してしまうからである。

☆それゆえ、外在的な国際舞台、国内舞台という空間という違いがあるだけで、人材の役割演戯は同じなのである。

☆それゆえ、配置によって富の分配の格差がでてしまうのである。

☆それをもってして、グローバリゼーションの影と呼ぶのだろうが、本来は、そういう隠ぺいや交流の壁を粉砕するのがグローバリゼーションの大きな影響力であるはずである。

☆そして、前者の意味でのグローバル人材を、よく教育されたエリートと呼び、後者をクリエイティブクラスと呼ぶのである。

☆21会校のメンバーが議論するクローバル人材論は、言うまでもなく、よく教育されたエリートの話ではなく、クリエイティブクラスの話である。

☆前者は格差増幅資本主義=20世紀型資本主義を作りだし、バブルとその崩壊のサイクルの中で、超富裕層がサバイブするシステムを形成している。日本の公立学校のシステムはまさにその強化システムである。もちろん、そこに参加している教師や生徒や保護者は、そんなことは思いもしない。貧困の差に痛みを感じるよき庶民である。

☆がしかし、そこのシステムが、かなりゆらいできて、公立中高一貫校だとか、高校無償化だとか、幼保一体化だとかいう話になっている。秋入学だ、クオーター制だという話になっている。これらは、みなよく教育されたエリート養成を持続可能にするためのものである。

☆それゆえ、こんなことをやっていたら格差社会はなくならない。

☆思春期学をやらないのは、この矛盾。つまり貧富格差に胸を痛める感性を維持しながらも、貧富格差が世界にあるのは自らが気づかないうちに創り出しているからだというジレンマを見出すメタ思考ができないようにするためである。

☆ところが、3・11以降そこが露呈してしまった。ますます、そこは隠ぺいしなければならない。絆とは、グローバルの本来性である。それなのに、グローバルは格差をつくち、絆をぶちきるというグローバリゼーションの影を演出し、国内では絆をという話になるように文科省は動いている。もちろん、文科省のスタッフがそう考えているのではない。そういう動きになるように官僚システムが自動化されているだけである。つまり官僚マザープログラムである。

☆思春期学を講じている私立中高一貫校とは、このメタ思考、メタ認知、メタ知識といった世界のパラドクスとジレンマを見出し、解決策を考えるクリティカルシンキングとクリエイティブシンキングを育成するプログラムを創出している。

☆高校回帰を促進する言説を振りまいている受験市場やメディアに警鐘を鳴らす拠点は、私立中高一貫校にあるだろう。チーム・ノアを探そう。あるいは創ろう。そういう動きが2012年の時代コンセプトである。

☆コミュタリアニズムの胎動とはそういうことだろう。

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