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スマートテレビと新しい学びフェスタ

☆3・21、東大福武ホールで「新しい学びフェスタ」が開催されたことはすでに報告した。そして次の日NHKBS1で、「放送記念日特集「広がるスマートテレビ~テレビはどこへ向かうのか~」という番組が放映された。

☆両方にいったいどんなつながりがあるのか?実に大いにあると瞬間思ったが、番組を見ながらウトウトしていたので、、それがなんであるか忘れてしまった。しかし、「ある」という確信だけは今も残っている。

☆番組のコメンテータには、佐々木俊尚さん(ジャーナリスト)、中村伊知哉さん(元官僚・現慶応大学教授)、猪子寿之さん(チームラボ株式会社代表取締役)、優木まおみさん(女優)が出演。

☆番組の編集自体は、日本では遅れているスマートテレビの普及が、やっと2012年以降広まる兆しが見えてきた。これによって、私たちの生活もそれをけん引するテレビ放送も大きく変わる。ここをうまく乗り切れば、産業も経済もハッピーになれるよというスマートテレビ礼賛物象化主義で、結局何も変わらないなァと感じたが、コメンテータのうち中村さんと猪子さんはそんな編集は本意でないというジャブを少しだけ出していたのはおもしろかった。

☆中村さんは新しい第2IT革命をポジティブに認め、第1IT革命のときから加速している、フェアーでフリーでフラットという3Fを標榜していたグローバリゼーションを、「みんな」というキーワードに置き換えていた。なるほど新自由主義的雰囲気を使わない言語感覚は、機を見るに敏なおもしろい人物である。

☆こうやって、言葉上は何か転機が訪れていることをポジティブに表現するというのは、NHKサイド的である。

☆しかし、猪子さんは、何が変わるというのか、すでにかわっているではないか。たしかに道具として利便性は高まるし、悪いことではないないだろうが、リビング革命なんていうのは、ちょっと恐ろしいねという感じ。都市全体が変わるというのだったら、まあいいけどという感性。

☆はっきり言わなかったけれど、スマートテレビによって一見多極化するけれど、お茶の間にまで一望監視装置が埋め込まれる感じでないのと鋭く言いたいのだろうけれど、そこは経営者。とりあえず都市のメディアが変わると。もっともこれは第1のIT革命のときとコンセプトは変わっていない。

☆さて、いったい何が新しい学びフェスタに関連するのかというと、この学びで行われている学びのプロセスを大切にしている人は、このコメンテータの中では猪子さんだったということなのである。

☆リビング革命というとらえ方は、労働者と資本家という関係を消費者とプロシューマーの関係に置き換え、さらにユーザーとクリエーターの関係にシフトするとらえ方である。

☆本当は佐々木さんも言っていたが、このユーザーとクリエータの間にキュレーターが存在するのだろうけれど、それは上記のような関係を強化する役割だから、初めから誕生したわけではないから、補完的な関係ということにしておこう。

☆猪子さんは、ユーザでありクリエータでありキュレータでもある。第2IT革命は、このようなトータルでナチュラルな人材をたくさん輩出する。しかし、ユーザとクリエーターを分断するような反作用も一方で生まれる。それをスマートテレビの普及が加速する。

☆クリエーターでないユーザは、無限の作られた選択肢を自由に選べるということに幸せを感じるわけだ。そういうドキュメンタリータッチの米国市民の映像もあって絶句してしまったが。

☆選択肢は自らクリエートしなければならない。それがIT革命によって可能になったというのが、本当の意味なのだろうが、そこをユーザービリティという美しい言葉で覆い隠してしまう。IT革命は、生産、ネットワーク手段を共有できる状況をつくった。つまり、出版、放送、生産、販売などの産業を支える手段を解放し、一部の大企業による独占状況を切り崩す世の中が誕生したということ。しかし、クリエートする手段を使えず、ユーザだけの役割を演じさせられるユーザーという名のマスは、そりゃあ不安になる。

☆この不安を解消するために、ユーザビリティを保障しようという心理学的戦略なのだろうが、いずれにしても不安は自分の軸がないときに生まれてくる。みんなスマートテレビの無限の選択肢があるから安心しなさいと。要は大きな共通の価値観を捨てたポストモダニズムの貫徹という路線でしか時代を進めようとしていないということだろう。しかし、一方でユーザでもありクリエーターでもありキュレーターでもある人材は、そこを突破し、ストレスレスでチャレンジングな活動を行っている。すでに、ポストモダニズムから脱却し、新しい時代に転換しようとしているのだ。ユーザのみの市民がその姿を見ようものなら、不安はドッと。

☆でもそれは見えない。スマートテレビの画面で、何でも買えるし、友人とテレビ会議よろしく会話ができる。無限の選択肢があるが、座標軸は偏っている。それをつくっているクリエーターの姿は見えない。

☆トルーマンショーを絵にかいたような世界じゃないか。

☆しかし、新しい学びフェスタで頭を使っている中高生は、ユーザーである前にクリエーターであるし、リアルな体験をシェアしている。ものの見方や感じ方の軸を形成している。しかもその軸は常に未規定性という開放エリアを持っている。

☆それがあるから不安なのではなく、緊張感を持ちながら生きていける。無限の与えられた選択肢を選べる自由は、いつも何にしようか不安だらけだろう。しかし、選択肢を自ら創るために、その判断の軸をオープンマインドでシェアしながら確認できる学び合いは、緊張感という不安を持続可能にする。これが本物のモチベーションである。

☆なぜ今日のキャリア教育とか進路指導という市場で、不安を解消するためのサバイバルスキルの商品がたくさん売れるかは、自分軸を互いにシェアするものの見方や考え方が養われない状態にあるからだ。

☆この現状の仕組みを今回の番組は結果的に表現していたし、そのようなリスクを回避できる学びが、すでに新しい学びフェスタで試みられていたということが、この両日に感じたことだし、いずれにしても転機の2012年を迎えていることだけは確かなようだ。

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