私学人 松田孝志先生の授業
☆目の前のことでアクセクしている私のような人間には測り知れない体験や出会いそしてあまりに深いかなたへの到達を経た松田先生からお便りと資料をいただいた。
☆今年度の明治高校(2年生)の倫理の授業の記録である。
☆教職に就いて30年を過ぎるのに、「自分なりに授業観・授業方法を図り、試行錯誤しております」という姿勢に頭が下がると同時に、何ものにも右顧左眄しない自分と普遍を一致させる座標軸を有していて、それがゆえに自由な気概を持ち続けている松田先生を羨ましく思う。
☆明治高校の倫理の授業、そこで学ぶ目的について、松田先生はこう語られる。
「今、ここで生きている自分」を丁寧に触ること!!そのための知識とスキルが必要です。そのトレーニング=リングが授業なのです。
「生き方」を思索する。「自分はどう生きるか」、「どのような社会の中で生きていくのか」、を通して「善く生きる」ことの思索・探求がその目的です。
明治高校・中学校の「社会」は、「なぜ、そのような問題が起きるのか」「君はどう考えるのか」「なぜ、君はそう考えるのか」を自ら思索し、探索することを大切にしています。さらに、「世の中と関わること、つながることはどういったことか」を自分の心で感じ、自分の頭で考え、他者とのやり取りの中で、自分の手で掴みとり、自分の人生に活かしていくことを追求しています。
☆生徒一人ひとりの行動原理の認識リストや自分の座標軸の軸リストを拝見すると、多くの高2の生徒が、自らを「リベラリズム」や「コミュタリアニズム」の象限に位置づけており、価値観もアウターなものよりインナーなものを志向している。
☆そして何より、夏の課題図書レポートや学年末の座標軸レポートの授業は、生徒自らが学べるように、丁寧にフォームやワークシートを準備されている。もちろん、コンテンツを思索するのは生徒であるが、その思索の補助輪をスキルトレーニングとして授業で丁寧に用意している。
☆おそらく夏過ぎてから、この補助輪は徐々に外されていくのだろう。そのタイミングが、高2の生徒が、外生的成長から内生的成長に転換するときにセッティングされるのだろう。
☆精神と仕掛けのコアコンピテンスは変わらないが、プログラムはずいぶん生徒自身が自律できるように進化している。これは生徒が自分を変えることに意欲的だからであろう。
☆自分を変えることは、一般には難しい。転機を迎えている日本の社会もなかなか変わらない。政財官の人材の姿をメディアで見るたびに、多くの視聴者はそう思っているだろう。
☆それなのに、明治高校の2年生はそこにチャレンジできるのはなぜだろう。それは教師自らが自己変革する姿をさらけ出すからであるまいか。そして、その松田先生の生き様は、内村鑑三なら「勇ましく高尚なる生き様」と称しただろう。
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