聖ドミニコに倣いて歩む学園
☆聖ドミニコという聖人について日本人はあまり知らない。しかし、12世紀に聖ドミニコという聖人が現れなければ、今日の欧米の文化も生活も精神もなかった。民主主義も今の形でなかったかもしれない。当然犬猿の仲のイエズス会も現れなかった。ということは近代日本はもっと別の形だったかもしれない。
☆今年の東大と早稲田の教育の現代文の入試問題で出題された同一の文章を――立教の河野哲也教授が書いた文章だが――、読んでみるとさらに聖ドミニコの重要性がわかる。この文章の背景には、3・11以降は、ニュートンやデカルトのような動力因ではなく、アリストテレスの形相因的な発想で世の存在を再びとらえる転換期がやってきたという基本的な思想が横たわっている。
☆河野教授によると、この形相因的発想は、現代思想のフラクタル論や複雑系、ポランニーの暗黙知論、関係総体主義、構成主義などの原点でもある。新しい企業のマネジメント理論の「学習する組織」や「ナレッジマネジメント」も実はこの系譜。
☆聖ドミニコが出現しなければ、この形相因的な発想は、異端の発想として退けられたままだっただろう。12世紀当時は東からの異端やイスラムの勢力とローマは対峙しなければならなかったが、三位一体を持続するには、なんと東の理論の根拠であったアリストテレスを換骨奪胎しなければならなかった。ゲルマンやケルトの属性と本質の理論では、三位一体は崩れてしまう。
☆これをきっちり理論的にロゴス化したのが、ドミニコ修道会士となったトマス・アキナス。アリストテレス―アキナスの理論は、その後要素分解主義的で線形的な近代科学主義に対するクリティカルな基準となる。
☆つまりは、J.J.ルソーなどの一般意志理論である啓蒙思想に継承される。もちろん、ルソーがそのことを意識していたかはわからない。しかし、共通善、黄金律、理念の未規定性はトマス・アキナスの神学の基本的な構造である。
☆このルソー的あるいはトマス的法理論を、明治政府はあっさり捨て去って――東大初総理(今でいう総長)加藤弘之が宣言。福沢諭吉、新島襄、江原素六<麻布の創設者>、石川角次郎<聖学院の初代校長>などと一線を画した。その後民法典論争でさらに明確に宣言。法律進化論として、啓蒙思想、自然法論は切り捨てられた――、今日を迎えているわけである。この捨て去られても保守してきたのが、多くの私学であり、それが戦後再びよみがえったわけである。
☆戦後教育基本法にかかわったメンバーに内村鑑三、新渡戸稲造の弟子たちが多かったのは、今ではよく知られていることだが、このとき第1次吉田内閣文部大臣、第2代最高裁判所長官、国際司法裁判所判事を務めた田中耕太郎は、はじめ内村鑑三の弟子だったが、カトリック的発想にシフトし、「世界法の理論」を著したが、この思想的背景にはトマス・アキナスがいるといわれている。
☆田中耕太郎は、内村鑑三の弟子である南原繁とはかなり激しく理論的闘争を行ったりもしている。一方でカトリック人脈の小泉信三と吉田茂とあの「テニスコート」の出会いをコーディネートし、皇室外交による平和外交への道も開拓した。つまり、世界唯一の被爆国として平和の伝道者と日本はなろうとした。ここが3・11以降につながる通奏低音。聖ドミニコ学園もまた正田家縁の学園であるのもそういう関係があるのかもしれない。もともと岩崎―松方家縁の学園でもあるというのもあるか。
☆ともあれ、田中耕太郎自身は、戦争中は軍部から要注意人物とされた意志の人である。このことは、いったんはナチズムに迎合したハイデガーと対照的である。ハイデガーは「存在と時間」をまとめているとき、トマス・アキナスの乗り越えを果たそうとしていた。しかし、J.J.ルソーに関しては、手を付けることができないほど恐れていたという。
☆何せルソーの自称弟子たちが、カントとヘーゲルである。当時のドイツのアカデミズムの中ではその抵抗は難しかったのだろうか。いずれにしても近代の大きな矛盾の混沌状態を露呈した世界大戦の痛みを引き受けた人々の中に、≪私学の系譜≫の私学人がいたことは確かであり、その強い意志の根拠として聖ドミニコの精神が流れていることも確かなようだ。
☆いつも聖ドミニコの理事の方々、教師の方々には、また大げさなことを言っているよ本間さんはと一笑に付されるが(もっともこれは同学園の方々に限らないのではあるが;笑)、聖ドミニコ学園の幼稚園から高校までの教職員は、ドミニコに倣いて教育出動をしている。
☆実際毎年のように研修会で「聖ドミニコに学ぶ共に生きる知恵」について対話して教師像を確認し合ってもいるのである。
ドミニコの明るさ、自由さを教育に取り入れたい。
子どもたちと接するとき、常に希望を持って接していく。全てに何かしらの価値があると信じて、ばかばかしいことでも、面倒なことでも、一生懸命向かっていく。
一致。職場の中でも大切。共に生きる。
行動すること。ドミニコはよく祈り、よく学び、よく歩く人であった。
☆などなど多くの教師像が語り合われているという。
☆こういう対話に満ち、しかもその対話によって教育活動が創発され選択される基準は、最終的にはゴールデンルール(あなたのしてもらいたいことを、相手にもしなさい)であるのが、「世界法の理論」に通じる同学園の意思決定システムである。
☆そんなわけだから、卒業生の大学合格実績が出ても、一人ひとりの今後の人生の門出を祝福し、ミサを行いはするが、格別学園の実績として宣伝することもない。だから、おせっかいではあるが、本ブログで紹介したい。今年の聖ドミニコ学園の実績と過去との推移は以下の通り(3月14日現在)。
☆国立大学は、今年は芸大(美術学部)。もともとドミニコ学園はアートへの伝統がある。松方コレクションというのを聞いたことがある人はピンとくるだろう。スモールサイズの学園ではあるが、武美(2名)、多美(1)、東京造形大(1)、女子美(2)と美大を進路に選ぶ生徒も多いのはそういうことだろうか。
☆上記の表には掲載していないが、ICU(1)にも合格。ICU、上智、青山、立教といえば、キリスト教系の大学であるから、明治学院大学に8名合格していたり、白百合(4)、聖心(6)、東洋英和(11)、恵泉(17)とキリスト教系の女子大大量合格も、聖ドミニコ学園の特徴であろう。
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