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東大合格発表の季節2012 [了]

☆「サンデー毎日(2012.4.15)」の「初の卒業生が難関大に大量合格したワケ」という記事には、「今年初めて卒業生を出した主な学校の難関大学合格実績」として下記の一覧のような学校の実績を掲載。並べ方は、私の方でアレンジしたが実績数は同誌発表のものである。

2012

☆この表以外にも今年初めて卒業生を出した学校はあるが、とりあえず東大合格者を出したかどうかという意図があったのだろう。かえつ有明のように、東大合格はださなかったけれど、それ以外では実績をだしたなとすぐに気づく学校もある。

☆九段については、初めて卒業生を出した公立中高一貫校だし、鳴り物入りでデビューしたという経緯もあるから、東大合格者を出したか否かにかかわらず一覧にいれたのだろう。

☆さて、記事の内容であるが、「大量合格したワケ」というタイトルそのものが編集の方で大げさにつけたきらいがあり、執筆する側は困ったに違いない。実際内容は、本当のワケを書くことができませんでしたという遠慮がちな、関係諸兄へ配慮したというか深謀遠慮したというかそんな内容になっていた。

☆海陽、小石川、横浜サイエンスフロンティア、AICJは、私立公立の違いはあるが、21世紀型教育の環境づくりに力を入れている学校である。それ以外は、進学指導路線を重視し力を入れているだろう。

☆そして、上記一覧表をみると、この違いが大学進学実績の違いにも結びついているように見えるが、それではその本当の理由はというと、「学びの組織」を作れたかどうか一点にあると思う。

☆生徒自らが創発的な思考ができ、互いに学び合う環境ができたかどうかである。簡単にいえば、その学年の教師と生徒が、縦横無尽にオープンに広く深い友情を培い、一体感を作れたかである。

☆記事には、桜修館は国語で論理的思考を養ったからだとあるが、これはどこの学校でもやっている。20世紀型であろうと21世紀型であろうと、論理が基本であることに間違いはない。しかし、学びの組織は、レトリックとしての論理と科学的・数学的論理の違いを生徒の側で学びとるから、国語で論理的思考などという縦割り発想はしないのである。

☆これは筑駒の生徒と話してみればすぐにわかる。彼らは、自分の学校は、私立のように外部環境まで21世紀型ではないけれど、内的思考は21世紀型だという。もちろん21世紀型という言葉は使わないけれど、生徒は、中3の段階でメタ認知能力を身につけると明快に語る。その授業は確かに国語で行われるけれど、それは従来の国語の作文教育とはまったく違うのだと、説明してくれる。教師は教師で、授業のプロセス、つまり編集過程や方法について、生徒は批判してくれるから共に学ぶことができるのだと。

☆この状態が学びの組織なのである。これは麻布やJGも同じである。麻布やJGの生徒は、すでに宮台真司さんに共鳴し、批判もできる生意気な生徒もたくさんいる。公立高校も一部の生徒はそういう生徒はいる。北海道の札幌南などは、伝統的に受験勉強をして大学にはいることを否定する、つまり地頭重視の生徒が多い方だろう。しかし、これは学校が意識して学びの組織を作っているわけではない。北海道は広いから、下宿をして通う生徒も多い(今はどうかわからないが)。下宿はいわば寮生活みたいなもので、学びの組織ができあがるものである。

☆だから、全寮制の学校海陽学園は、学びの組織を24時間体制で構築できたのだと思う。すでに昨年の春の段階で、だいたいの合格実績を予想していたと聞き及ぶ。それが的中しただけのことだろう。開成の先生と話をすると、今年は来年は・・・と予想をしてくれる。そしてそれはまず的中する。その予想は、中学の入試の結果からだいたいわかるものらしい。10年くらい前までは、開成の中学入試問題の傾向は2パターンあった。

☆どちらのパターンが開成らしい成長曲線を描くのか、試行錯誤するためである。そしてそれが今のようなほぼ同傾向の入試になったのは、開成らしい成長曲線の描き方が決まったのだろう。それはともあれ、そのプログラムを組んできた達人の一人が海陽の副校長に就任している渡辺先生。当然その開成知を活かしているのは、火を見るより明らかだ。

☆この間、フェリスの卒業生たちたと話をしたが、同窓生が集まるや、そこは学びのチームになっていた。多様な視点とリスペクト、外面的な話でユーモアをとりつつ、スイッチが切り替わって内面的な奥深い話で議論が沸いていたりしていた。

☆しかし、上記の表では、学びの組織であるかどうかは実のところわからない。大学入試問題がそのような学びの視点をチェックするようにはなっていないからである。

☆ただなんとなく推察できるのは、相対的に九段の実績が他と違うということである。これは偶々なのか、そうでないのか。公立中高一貫校は、教育のモデルである。したがって、各公立中高一貫校は、その学びの状態をオープンにして、今後の教育改革のサンプルとして情報を開示する義務があるのだが、そこはどうなっているのであろう。

☆学校側の説明だけではなく、もちろん、文科省に統括されている学者の説明だけではなく、税金を納めている一般市民の知恵を学びの組織として結集して外部評価をしなければならない。よもや公約通り東大何人入れましたなどという言説でも放とうものなら、民主主義の学校としては問題なのは言うまでもない。

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