変わる私立中高一貫校 21会 in 富士見丘①
☆吉田先生は、富士見丘という私立中高一貫校を経営しつつ教育活動をしている実践家であると同時に、日本私立中学高等学校連合会会長でもある。したがって、日本の教育行政にかかわる多くの政財界人と日本の教育のかじ取りをするスーパーメンターの役割も果たしている。
☆現場と日本社会のビジョンやベクトルの方向性を見守る賢者である。私立学校の立ち位置から、公立学校のともすれば官の権力よりになり、子ども不在になる教育政策に物申す重要であると同時にほかにはいない特別な立場にいる。
☆それがゆえに、21会メンバーにとって、たいへん啓発的で創造的な議論の糸口を提供されたようだった。これからの教育キーワードである「グローバリゼーション、リベラルアーツ、イノベーション」がたんなるインフォメーション用語ではなく、20世紀型教育や社会を変えていくソフトパワー用語として作用するのはいかにして可能かという講演だった。
☆特に「グローバリゼーション」については、まだまだファッショナブルなレベルにすぎず、政財官挙げてグローバルリーダー育成を!と喧しく提唱しても、笛吹けども踊らずか、あるいは大山鳴動して鼠一匹という結果になりかねない。要するに変わらないのではないかと。
☆なぜそうなのかというと、「グローバリゼーション」は確かに英語力は必要であるが、最近ではTOEICはよく耳にするが、TOEFLやIELTSなどの世界標準の英語力は、まだまだ英検ほど国内に浸透していない。つまり世界標準の言語をまだまだ受け入れていない。これではグローバルリーダーといっても基本的な条件がそろっていないのではないかと。
☆しかし、そのような技術的なことは、今後なんとかなるだろうが、最も重要なことは、グローバルマインドなのであると。多文化・多宗教・多言語・多民族の人々が、場所を超え、時間を超えて英語で話し合う。そのときに高いスキルの英語だけ話せても、それはインフォメーションのやりとりはできるかもしれないが、互いを知り、受け入れながら納得や共感を作り出すには、スキル以上に多文化・多宗教・多言語・多民族の文脈を知ろうとする教養が必要になるだろうと。
☆とくに、東アジアの人々は、いろいろな事情で世界に移民していて、イギリスやアメリカで出会う英語を話す英国人や米国人ではあるが、文化は全く英国や米国とは違うなどということは当たり前のようにあるのだと。
☆その話を聞いて、なるほど、日本人が内向きなのは、シャイだからではなかったのだ。グローバリゼーションというと英語でインフォメーションを収集分析すればよいと思っていたわけだ。それならば、日本国内にひきこもって仕事ができると錯覚していたのである。実際にはグローバリゼーションをもって、直接語りあわなければならないのである。
☆では、そのようなグローバルマインドはどこで学べるのか?英語だと大学や語学学校で学べるが、グローバルマインドを育成する「リベラルアーツ」はどこで学べるのか?
☆大学では5校もないだろう。それに話は前後するが、英語で大学の講義をできるだけではなく、修士論文や博士論文を英語で提出し英語で評価をする大学院というのはどのくらいあるのか?これが実に少ないのだと。したがって、秋入学で留学生を迎えようと言っても、シラバスよりなにより最も基本的な条件で躓いてしまうのが、日本の現状なのであると。
☆だから、21会校のように、TOEFLやIELTSなどの世界標準の英語力に力を入れたり、帰国生のためのグローバルな学びの環境を整備しようとしているのであり、できるのはそのような私立中高一貫校だけであるのも否めないと。
☆そして、当然ながら21会のような私立中高一貫校は、リベラルアーツに力を入れている。グローバルなスポーツや芸術やマナー教育は、ある意味教育投資という意味合いがあり、無理をしてでも本物体験を準備しているのだと。そのようなリベラルアーツ体験は、富士見丘では、いろいろあるが、イギリス研修のあと、アラブ首長国連合(UAE)でも交流を深めて帰国するプログラムの紹介があった。
☆グローバルなエリアとはまさに地球規模で、明治維新当時のように欧米とだけ交流していればよいというものでもない。また、もともと世界の文化の源流はアジアなのである。ギリシアは当時は文明の先進地帯アジアの一部であったのだ。
☆世界を知り歴史を知ることこそ、自分を変え、社会を変える。何のためにか。言うまでもないが、子どもの未来を幸せな時空にする以外に何があるのかと。
☆それなら、公立中高一貫校も税金を財政出動し、そのプログラムの真似をすればよいではないかということになるかもしれない。しかし、残念ながらできないであろうと。教育とは最終的には国家対国家でも、企業対企業でもないのである。個人と個人の人間マインドの交流なのである。しかも生徒の安心安全も確保しなければならない。できるだけお金をかけないで、という倹約ではなく経費節減さえすればよいというお役所仕事では、うまくいかないである。その学校の教師が自らの身体をはって、交流の環境を結びつけるのである。これが本物の絆づくりであると。
☆なるほど、自分の目の前のことにしか興味と関心がなくなってしまったガラパゴス日本社会では、そんな使命感を持つのは難しいだろう。この日本的ポストモダニズムをいかにして変えるのか。その挑戦を引き受けているのは私立学校であるということに、日本社会は目覚めなければならない。
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