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変わる私立中高一貫校 21会 in 富士見丘②

☆第5回21会の2つ目のスピーチは、共立女子の校長渡辺先生による「20世紀型教育と21世紀型教育のパラダイムの違いを踏まえて」 という提言だった。

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☆渡辺先生はレジュメを作成されていたので、それをご紹介しよう。

レジュメ→渡辺校長提言「5_21.pdf」をダウンロード

☆その中で最後のページは、21世紀型教育のベクトルをきっちりまとめられているので、引用したい。

 21世紀型教育は、要素還元主義でない関係総体主義であるべきである。また、知識基盤社会となるので、知識の更新を図っていかねば陳腐化する。どのような学校でも、すべての知識を与えることは不可能なので学習方法を教えることが必要になる。学力観や知識観からいえば、MITのシーモア・パパートが提唱した、3Rから3Xへのシフトになる。
 また、学習法としてはドラッカーもeラーニングと教授法を提唱している。ただしITの使用を教授されるのではなく、教えることと学ぶことが同時展開され、生徒自らが技術獲得する方法が必要である。であるから、電子黒板や電子教材を使用していても授業内容が問題であり、ただ使用している道具のうちは20世紀型教育であり、要素 還元主義と言わざるを得ない。
 その学校の教育内容でなく、点数、偏差値、大学進学実績などに価値観を置く背景は、これまで述べてきた要素還元主義であり、物象化(人と人との関係が物と物との関係として現れ、価値観が転倒していること)されたものである。
 ドラッカーは今日の教育制度は、学生や生徒が生き、働き、成果を上げていくことになる世界への準備を、何もしていないと厳しい批判をしている。
 知識は行動の基盤になるべきものであるが、知識の伝達を目的として学問の区分を基準に作りだされたのが教科である。ただ、これからはその境界が陳腐化し、理解と学習の障害になる。これまで高等教育でも、知識の探求と成果は専門分野別に組織されていた。
 ようやく今日、専門分野別ではなく応用分野別に組織され、学際研究が急速に進展した。中等教育でも、教科横断的参加型の学び(関係総体主義)の集積は、21世紀型教育パラダイムのひとつになり得る。

☆どんなに21世紀型教育だとかグローバリゼーションだとか叫んでも、その時代を表現する根底基盤の考え方やものの見方が変わらなければ、実際には20世紀型教育やインターナショナリゼーションの亜流や俗流に過ぎないのである。

☆最近では、グローバル企業もそこに気づき始めた。4月25日に公開された経済同友会がまとめた「“日本企業”のグローバル経営における組織・人材マネジメント 報告書 」には、こんな図式がある。

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「タイプ1:日本主導型グローバル展開タイプ」は、日本独自の価値観・理念を強く持ち、日本本社が中心となって現地をマネジメントしていく形であり、グローバル展開の初期段階に多く見られる。「タイプ2:日本主導型グローバル連携タイプ」は、日本本社が中心になるものの、本社と現地が連携しながらグローバル最適を意識して現地化が進化していく形である。「タイプ3:無国籍型グローバル連携タイプ」は、もはや日本中心という発想がなく、日本も世界の一つの地域とみなし、国を区別せず、ある意味、無国籍化した上で各国が連携していく形である。これは、金融やコンサルティングファームなどに多く見られるタイプである。ここで注意すべき点は、組織のグローバル化のタイプに優劣をつけることには意味がないことである。むしろ重要な点は、自社の経営・事業戦略を見極め、それに合った組織タイプを選択していくことであろう。

☆経済同友会の報告書であるから、参加企業に配慮して、この対応は、歴史的変遷ではなく、各企業の特徴だからどのタイプが良いか悪いかと言うことではないとある。

☆しかし、その配慮がグローバリゼーションの進行を阻害するというこれもまたなかなか難しいところなのである。渡辺校長の提言にあるように、タイプ1やタイプ2は、要素還元主義に相当するである。中心があって、そのこのコントロール下にある組織マネジメントであるから。しかし、タイプ3は関係総体主義に近い。つまり、モダンからポストモダンへというグローバルな流れにあって、なおマネジメントの考え方がモダニズム、つまり20世紀型であると装いは変わっても内実は何も変化していない。それゆ日本の企業はグローバリゼーションの中で躍進できないのである。

☆もっとも、ポストモダンに飛べない理由は日本固有の問題があることも否めない。渡辺校長が語るポストモダンは、モダニズムの後に到来する新しい資本主義経済社会のあり方を示唆しているが、日本の現代思想や文壇でポストモダニズムと言うと、モダニズムの影の部分、とくにオタクという言葉に象徴されるモダニズムの矛盾が生み出した影の部分を指し示している場合が多い。

☆よく、大きな物語は微分化し、個人の表面的な興味と関心の中で自由だと勘違いしているサイバースペースでの病理を議論している場面がテレビなどでも頻繁に議論されている。それゆえ、企業はそこに陥らないように回避するわけである。しかし、そうすると反動的な動きになってしまう。富士見丘の大島教頭が、せっかくリゾーム型に接近しているのに、現実はなかなかということだなあと指摘されるように。

☆ゆとり教育の象徴である前学習指導要領も、本来は渡辺校長の示唆するポストモダンへのシフトを考えていたのだが、そこの理解に到達できず、たんに物理的学習時間の少なさを回復しようという反動的な新学習指導要領になってしまった。

☆上記の経済同友会の組織の図式は、実は知識の図式でもあるから、知識の体系は相変わらず、20世紀型のままなのである。

☆いやそんなことはない。新学習指導要領にも構成主義的な学習観を大いに入れ込んでいるといわれるかもしれないが、構成主義的な学習観は、20世紀末の学習観で、21世紀型にシフトしようという模索中の――たしかにある水準に行きついた理論ではあるけれど――理論に過ぎない。

☆これが21世紀型になるには、渡辺教授の言うMITメディアラボのシーモア・パパート教授の3Rから3Xへシフトするというネオ構成主義が必要になるのだが、この考え方に基づいた総合学習を、ある意味捨ててしまったのが、新学習指導要領である。

☆したがって、当面公立学校で21世紀型教育を推進することは実質無理であろう。もちろん、公立学校の教師の問題ではない。制度上の問題であるに過ぎない。しかし、制度は教師の行動原理を規制するから意外と厄介なのである。

☆それゆえ、21会校のような私立中高一貫校は、公立学校が足踏みをしているが、いずれ先に進まねばならなくなる道のランターンになろうということなのである。戦後教育基本法の成立に偉大な貢献をした新渡戸稲造の弟子河井道(恵泉)が当時記した「マイ・ランターン」のように。こうして≪私学の系譜≫というもう一つの近代化の光の部分はイノベーションの中で保守されていくのである。

☆21会に刺激を受けて、私なりに20世紀型教育と21世紀型教育の違いを次のようにグラデーション的な整理をしてみた。参考まで。

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