NHK ニッポンのジレンマを新世代が解く
☆昨夜、NHKのEテレで「新世代が解く!ニッポンのジレンマ」という討論会番組の最終回が放映。本日日曜のサンデーモーニング(TBS)では、あの藤井教授が登場して「災害資本主義」の危機に警鐘を鳴らしていた。
☆いずれも転機の2012年をどのようにとらえるか、千差万別であったが、実は漠然と国家という存在を大前提にして、そのあり方を評論していたのには少し驚いた。
☆象徴的だったのは、与那覇潤准教授が、冷戦も終わってもなお同じ議論がここでなされているのに驚いたと語っていたのに今更ながら驚いた。
☆明治維新以降、近代国家形成に参画した日本は、その国家の根本的な構造において変化がないのだから、冷静終焉後も同じ議論が継続するのは驚くまでもないことだから。
☆藤井教授にしても中央集権を勇気を出して支えようみたいな話をしているぐらいだから、転機の2012年のこの時期に、転機を抑制する反作用が生まれるのもしかたがないが、新世代もそうなのかと思わせる出演者をずらりと集めたNHKの編集コンセプトが恐ろしい。
☆宇野さんだけは、なんとかそこから抜け出ようとコーディネートらしきコミュニケーションをしようとしていたが、仕切っているのは若手NHKアナウンサー。軌道修正はできなかったかもしれない。
☆国家ありきは問題ないのである。日本という現在の国家は、たしかに出演していた投資家やエコノミストが言うように、悪くないのである。簡単にインフレに持っていく方法は、あるんだそうだ。そうすれば、円安にもなり産業も回復するという。そんなそこそこの国家であると。
☆しかし、それでよいのかという問題提起がジレンマのはずなのに、あたかもそんなのは政策ミスなだけなのだという言い方。それが合理的思考というものらしい。
☆一方でセーフティネットをきちんと整備できないのは、政府のリーダーシップがないからであると。だから、ゆるやかなネットワークで、国に頼らず市場の原理でやっていこうという理屈まででていた。ノマドで生きていけると。
☆すると、今回は参戦していないが、藤井教授のような見識者は、災害資本主義のようなものがあるから、市場はきっちり中央集権でチェックをと。
☆いずれにしても国家の存在を前提していうわけだ。国に頼らずと言っても、自宅から一歩出ると公道である場合がほとんどである。自己所有を保障しているのも国家である。国に頼らずというのは、そもそも無理である。
☆かといって、中央集権で行こうなどと、明治以来変わらぬ官尊民卑を、居直って放言してしまうのもどうかと思う。基本大学教授陣は、私立であれ国公立であれ、文科省に統制されているから、しかたがないのであるが、ちょっとはモニターの役割演技していますとスマシてもよいのに――居直っても、スマシても国に庇護されていることに変わりはないが――とは思うが。
☆せっかくサンデル教授を尊敬しているコミュニタリアンである小川准教授も、国家をうまく利用しようなどいうことを放言しているのも、コミュニタリアニズムとは質が違う。
☆いずれにしても転機の2012年。国家と国民あるいは市民のコミュニケーション関係がどう変わるか気になるところであるが、両番組の転機の方法論は20世紀型のままであるから、ここからは変わらないという確認ができたのは非常に有益だった。
☆方法論や道具立てを変えない限り、転機は促進しないという確信。方法論は垂直構造をフラットにすればよいのかというとそんなことではないのである。道具は第二のIT革命の導入かと言えばそういうことでもないのである。
☆水平化と第二のIT化は必要であるが、それで外延的知識が内包的知識に変化するかどうである。客観的知識によるコミュニケーション関係から、間(客観的×主観的)知識を活用してコミュニケーション関係を作れるかどうかである。
☆形式的公共知識ではなく当座公共知識によるコミュニケーションと言ってもよいかもしれない。そういう意味ではゆるやかなネットワークは重要である。問題は、このネットワーク上で外延的知識が交わされていたなら、その中で勝ち組負け組という明治維新以来の優勝劣敗思想は何ら撤廃できないということである。
☆当座公共知識を創出できる天才はマザーテレサのようなコミュニケーションができる人材。国家が見向きもしないような状況に真理を見出せるかどうか。そして、国家に頼らずと国家に頼っているにもかかわらずウソブクのではなく、国家がハッと気づくような活動をするということだろう。
☆災害資本主義は結局戦争資本主義と同根である。その両方に国家はかかわっている。そうならないように中央集権を強めようなどというのは、それこそ矛盾でありジレンマプロブレムである。
☆国家と共に歩みながら、国家がハッと気づくようなコミュニケーションをするしかないのである。
☆アウン・サン・スーチンさんや、海外(日本にも立ち寄っている)にいるミャンマーの方々と話すとそのことが了解できるだろう。頼るべき国家が存在しないとき、国家に頼らないで生きようとするどころか、ベースとなる民主国家を作ろうとしているのであるから。
☆怪物としての暴力国家だけが国家のあり方ではないだろう。歴史的にはそういう段階の国家であったかもしれないが、その国家の存在を前提として、その国家のバージョンアップを考えようとすることこそジレンマなのである。ジレンマを乗り越えるには、国家という存在理由そのものを変えるしかない。それはバージョンアップではなく、ビジョンの変更である。
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