苅谷剛彦氏の日本の高等教育の病の指摘
☆グローバリゼーションと教育についてサーチしていたら、nippon.comというサイト論壇がヒットした。何やら≪官学の系譜≫的な雰囲気のサイトであるが、そこに苅谷剛彦氏の論考が載っていた。
☆題目は「高等教育の“日本病”グローバル化競争に乗り遅れた日本の大学」で、何かまともなテーマではないかとつい読んでしまった。そして、やはり変わらぬ書きぶりに、ブレていないのはよいのだけれど、イギリスに行っても変わらないのかァ~と・・・。
☆象徴的な文章は最後の箇所。
グローバル化の変化に対応できず、日本社会という閉じたコップの中で、それ以前に通用していた仕組みにしがみつき、その仕組みの下でいまだに誰が相対的に有利になるかを競い合う構造が存続する。その結果が、コップの外から見れば大きな負の結果をもたらしていることが分かっても、やめることも変えることもできない。公的な財政事情が悪化することと相まって、打つ手がない状態が続くのである。
☆ここまでは、いつもよい指摘なのである。しかし、次が問題だ。
このような日本病は、しかしながら日本だけのものではない。特に教育の領域においては、より「小さな政府」を目指す動きは、教育の私事化や市場化をもたらす。ところが、個々人の合理的な判断や行動が、全体の質の向上や平等の達成をもたらす保証がないことは、日本の事例から明らかである。むしろ、近視眼的に有利さを競い合う競争に陥ることで、教育の質が低下し、平等な機会が失われる可能性がある。人材育成における「合成の誤謬」の悪循環に陥らないためにはどうすればいいのか。日本の事例から学ぶべき点は多い。
☆ご本人は、価値中立を決め込んでいるのだろうけれど、明らかに「小さな政府」批判であり、明言していないけれど、「大きな政府」を評価しているわけだ。そんな二元論でない、新たな考え方が世界にはあるのである。つまり、啓蒙思想的発想の社会モデル。
☆小さな政府でも、一般意志さえ稼働すれば、近視眼的な優勝劣敗競争には到らないというルソーのモデルである。「小さな政府」をネガティブにとらえる発想は、≪官学の系譜≫であり、小さな政府でも一般意志のような未規定な理念から出発する考え方は≪私学の系譜≫である。
☆やはりnippon.comサイトは、官僚よりのサイトなのだろうか・・・・・・・?
☆これがはっきりするのが、実は結城章夫氏の論考。戦後教育基本法を否定し、改正教育基本法で日本が救えると希望を持っているのである。戦後教育基本法こそ≪私学の系譜≫そのものなのに。
☆だいたい、自由より公共という発想が信じられない・・・。「自由・平等・博愛」が世界標準の公共性で、日本の道徳に従う公共性は、ドメスティックなものである。何やら危うさを感じてしまう・・・。
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