聖学院の実力 海外大学への道拓く
☆すでに、「聖学院 知られざる実力を公開①」で紹介したが、もう一度今年の卒業生が進学した海外大学をみてみよう。
★The University of Queensland(豪)・・・2名
★The University of Connecticut(米)・・・1名
(コネチカット大学)★The University of Massachusetts Boston(米)・・・1名 2010
(マサチューセッツ大学ボストン校)★The State University of New York at Stony Brook(米)・・・1名
(ニューヨーク州立大学ストーニブルック校)★北京語言大学 (中)・・・1名
★The University of Central Arkansas(米)・・・1名
★Green River Community College(米)・・・1名
☆クインズランド大学は、かなり有名大学。イギリスのTIMESというシンクタンクは世界大学ランキングを公開しているが、もちろん100位以内。これが意味することは何か?このランキングで100位以内にはいっている日本の大学は、東大と京大だけ。そのレベルの大学に2人も進学している。
☆東大に2名合格したのと同じだろう。マサチューセッツ大学ボストン校といえば、ほかにアマースト校などもあるが、そこはあの新島襄が留学していた超有名大学。
☆ニューヨーク州立大学ストーニブルック校は、最新のTIMES世界大学ランキングでは114位(2011-2012年)だ。早稲田大学や慶応大学などでも200位以内にも入らない。やはり東大・京大レベルと言ってもよい。
☆コミュニティカレッジに進学している生徒もいる。2年生の大学で、3年から4大にトランスファーできるから、もしかしたら、将来UCバークレーやUCLAに編入できるかもしれない。
☆しかし、本当は世界ランキングなどはあまり問題ないのである。自分が何を研究したいか、何を天職とするかが重要である。日本の企業や官僚になろうとすれば、日本の大学でよい、いや日本の大学でなければならないだろう。
☆しかし、欧米の大学は、就活などしないから、自分を見つめる時間がたっぷりあるし、自分の天職はなんであるか試行錯誤もできる。近い将来、海外の大学から日本にかえってきても就職できるようになるのは、時間の問題であり、そうなったら、むしろ留学生は有利な時代がやってくる。
☆それに人脈やものの見方の多様性など、国内の大学では比べものにならない。就職試験のスコアはともかく、豊かな知性と教養と身体と倫理観を有した人材を迎える寛容性を備えなければ、企業もやっていけない時代はすでにきている。ただ、まだまだ保守的なだけである。
☆ともあれ、聖学院の実力は、東大レベル以上の人材を輩出しているのである。それに気づかないのは、受験市場のフィルターがかかっているからである。東大がなぜ秋入学を喧伝しているのだろう。海外大学と競う時代がそこまでやってきているからだろう。
☆海外大学は学費が高い!と思うかもしれないが、何もハーバードやスタンフォードだけが海外大学ではない。だいたい世界ランキングなどものともしない実力ある大学はEUにいっぱいある。そこは、日本の美大に通うぐらいのコストで学費から生活費が収まるケースもあるようだ。
☆ストラスブール大学のマスターに通う学生の中に日本人がいたが、仕事をつづけながら研究しているというからすごい。歴史博物館のキュレーターにも日本人がいて、話を聞いたが、やはりコンテンポラリーなアート作品をつくるために、働いているという。
☆みんなやりたいことだけをやって、生きていけることを望みながらも、そうはうまくいかず、生活をなんとか維持しながらやりたいことを続けるというスタイル。
☆そこらへんの感覚がどうも日本国内とは違うようだ。自分のやりたいことを仕事でできると思っているのか、大企業に勤められることが、やりたいことをやっていると思い込んでいるのか。。。
☆HITCHENSとBLAIRの対話を読みながら、こういう話し合いを日本の官僚や政治家はできないだろうなあと感じた。なぜなら90%は、中高時代、公立学校に通うのだから。当然このような根本問題について語れないだろう。
※この対話は、YouTubeで見ることができるが、私の場合はリスニングができないから、本で読むしかなかったわけだ。
☆根本問題について話し合える頭脳か十牛図の悟りの道やキリストの道ゆきなどを歩ける人くらいしか、国際感覚を持つことは不可能ではないかと、二人の対話を読んで絶望的になってしまった。
☆この絶望すら感じなくなっている「ゆでがえる」状態が今の日本。自分の息子が、ここから脱するには海外に行ってみるか、国内でありながら世界市民が闊歩している聖学院のような私立学校に行ってみるしか他に道はないのかもしれない。
☆知られざる場にこそ、隠された幸運があるものである。宮崎駿や佐藤さとるの世界はそこに誘っている。大きな物語を喪失したと言われて久しいが、与えられた物語など初めから空虚ではないか。物語はいつも自分から冒険しなくては。その冒険はネバーエンディングストーリーであることは、本当は誰でも知っているはずだ。
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