新しい評価研究会第2回
☆新しい評価であるから、従来のものとは当然違うために、まずは、メンバー自身で創発しなければならない。多忙な中で、それをやるためには、今行っている、あるいは今行おうとしている授業や新しい授業の評価を新たに開発することにチャレンジしようということになった。
☆「新しい評価」とは、新しいスコアや新しい基準をつくって、それによって、生徒の学力をさらに向上させようというものではない。もちろん、その新しい評価によって、生徒たちは、自分を成長させるわけだから、結果的に学力は向上するし、志望大学の合格確率を高めるだろう。
☆しかし、オブザーバーで参加していて、それよりも、評価学後進国である日本の初等中等高等教育機関にとって、新たな希望の光を生み出すようなすてきな評価を創ることになるのだということだけはなんとなく予感した。
☆米国のテスト機関ETSやスイスに本部があるIB(国際バカロレア)、OECD/PISAの「評価学」に比較すれば、日本の評価制度は、おそろしく学歴社会支援評価にしかなっていない。生徒自身がいかに自らを成長させるかではなく、学歴社会が決めた評価項目に従って、それに同調していくことが成長だという空気に呪縛されているとは、宮台真司さんや鈴木寛さんなら言うだろう。
☆しかし、ETSやIB、PISAだって、世界戦略の一環として行われている点は否めないわけであり、TPPを通して日本進出を果たそうという米国やそれに対抗するべくIBの日本語使用を認める動きは、最近新聞等で明らかになりつつある。もっとも英国及びその連邦圏は、すでに着々と駒を進めているのだが。
☆そんなこともあり、日本の教育も独自のかつ世界標準に耐えうる「新しい評価」を作る必要がある。そういうときは、いつも公立学校ではなくて、創意工夫の自由圏が保守されている私学において挑戦されるというのは、日本の教育史の常であったから、おそらくこの研究会もそのトレンドの一つなのだろう。
☆さて、私学の中で優れた数学教師M先生がいる。M先生の授業は、新しい評価を作成する際、一つのモデルになる。先生の授業は、授業時間内で完結するのではない。自宅学習とセットである。なんだそんなのは当たり前じゃないかと思うだろうが、そこの違いがわかると、その際に新しい評価の必要性が見えてくる。
☆自宅学習とは、授業で行う数学の問題を解いて授業前にM先生に提出するところから始まるのである。予習とか復習とかはもちろんやるだろうが、それ以外に添削問題を事前に行って提出するのである。
☆当然、この生徒の答案を、M先生は添削してから授業に臨む。この過程はある意味筑駒の作文ワークショップに似た構造を持っている。M先生は生徒の答案を分析し、どこで躓いているのか把握するだけではなく、生徒たちとそれを共有しながら授業を進める。その段階で「あっ!」と気づく生徒はたくさんでてくる。そして再び類題を宿題として課すのである。この循環が「新しい評価」そのものであることは言うまでもない。
☆ただ、このM先生の「評価×授業」の過程は、当事者しか共有できない。添削問題は闇雲に選択されているのではなく、生徒の学びの成長に合わせて選択される。その質感が重要であるが、それは測る化されていない。だから、生徒の学びの成長のポイントがどこかも当事者しかわからない。わかるのは、その結果輝かしい進学実績を出したという結果のみである。
☆この「学びの成長ポイント」をETSはIRTで測る化しているし、IBではIBインストラクターの研修を徹底する膨大なマニュアルで見える化している。それゆえ、広く市民の知が成長する。もっとも、結局はエリート主義になってしまっていることは否めないが。
☆それはともかく、M先生の評価は、生徒によって時期によって違うから、IRTのような評価では対応しきれない。もし対応できるようにしたら、IRTを超えるだろう。またIBの評価基準は、インストラクターの生徒に対する質問の体系によって、保障されている。その質問の体系にどれだけ生徒がついてこられたのか、そのプロフィールが評価そのものである。しかし、問題はその質問がマニュアル化されていて固定されているのである。そしてIRTのようにICTになじむ評価システムではない。
☆M先生のは、その質問が固定していないということなのである。したがって、ここにも新しい評価学のヒントがある。しかも日本独自の。
☆ある意味、M先生の評価は、IB的な対話型であり、ETS的なIRT活用の要素ももっている。したがって、この両方を統合する、たとえば、スタンフォード大学のフェッターマン教授のワーキンググループがやっている「エンパワーメント・エヴァリュエーション」的な手法が活用できる。この評価は、ICTを活用することがさらにパワフルにするのだから、やはり近未来的だ。
☆しかし、この「対話」というところをどのように評価するのかというのは、今のところどこも未開発である。ここは、学びと道徳を結びつけるから、危険だとされる認識が世界中の教師の暗黙の了解であるから、今のところ難しい。
☆ただ、ハワード・ガードナーは、倫理性を学びを支える重要な要素として認識しているから、ハーバーマスのように社会学的なクリティカルシンキングを含みながら、コミュニケーションの発達の評価を組み込めば、これはおそらく日本独自のものになるだろう。
☆欧米は、そこは民主主義的なプロセスを育成するプログラムが盛んだから、学びや授業の中で評価しようとはしないのだろう。しかし、実際には、議論やプレゼンは頻繁に活用されているのだから、今回の私学の先生方の新しい学びのように、ディスカッションやチームワーク、学び合いを埋め込んでいる場合、コミュニケーションをいかに評価するかは有効なのである。
☆そんなわけで、まずはサンプリングしようということで、西武文理の金井先生・佐野先生の新たに開発する「新しい学び」のプログラムで、「新しい評価」の開発がコラボして進められることになった。
☆おそらくこの動きは「学びの組織」や「質的リサーチ」の方法論が適応されるに違いないが、このこと自体すでに果敢な挑戦である。
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