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思考力テスト作成のために IRTの前に項目分析

☆大学改革実行プランやグローバル人材育成促進、高校留学の推進など、要するに知識偏重型のテストから思考力型テストへのシフトが叫ばれて久しい。ロジカルシンキングを見る問題だとかクリティカルシンキングを見る問題だとか、叫ばれ続けているわけである。

☆それは極めて重要であるが、どうやってそのようなテストを作ることができるのだろうか?論述型や小論文型にすればそれでよいのだろうか?もちろん悪くない。その方向でよい。

☆しかし、肝心なのは、生徒が書いた答案から何を読み解くのか、そのモノサシ作りが同時に作成されなければならない。採点許容なら、当然つくるよという話になるのだろうが、そんな付け焼刃のものでは駄目なのは言うまでもない。

☆論述型や小論文の問題を作成するのに、実は「選択肢型」の問題とテスト項目分析をいつもしておくことが大切なのである。つまり、定期テストの分析がきちんとできているか、普段のミニテストがきちんと分析されているかなどなどなのである。

☆たとえば、次の金子みすゞさんの詩についての問題を出題したとしよう。たんじゅんにこの問題の回答率だけをみても、たいしたことはわからない。つまり、私たちは、今までそんなことで、得点や偏差値をつけてきたのである。

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☆一般的には選択肢ウが正解であるが、このことがどのくらいの価値があるのだろうか?各選択肢を選んだ生徒集団が、他の問題で正解した反応率を全部分析してみたものが、下記の表である。

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☆金子みすゞさんの問題は、全部で30問あるうちの30番目の問題。この問題でウと回答した生徒集団は、ほかの29問の問題で、すべて正解反応率が高い。ということは、この問題が正解できた集団は、他のどのような問題でも正解する確率が高いと予測することが可能である。

☆しかし、かりに30番めのこの問題でエと回答したとしても、他の問題でもかなりの確率で正解できる可能性を持っている。次に優位なのは、イと回答した生徒集団である。しかし、アと回答したからといって、そのほかの問題ができないというわけではない。

☆金子みすゞさんの問題の意図は、自然と人間の関係のとらえ方という認知については、それほど差がなく、その関係のとらえ方をどこまで相対化できるかというその距離の質感をみたいというものである。

☆その距離の質感が、人間に偏っているのか、自然に偏っているのか、そのどちらもなのか、そのどちらでもないのか・・・。

☆結局は価値観なのだから、どれも正解である。だから、ウを選んだからといって、この問題では何もわからないのである。ただ、他の問題とのクロス集計(総当たりの集計はITがなければ当然時間がかかる)を丁寧に行っていくと、ウと選ぶ選択判断を持った生徒の学びの視点は無視できないことがわかる。

☆その学びの視点とは何か?メタ認知能力とかクリティカルシンキングとかいう学びの視点というかレベルなのである。

☆このようなことは当たり前だし、経験上わかっているといわれるだろうが、このようなテストの問い同士の分析を「項目分析」と呼ぶことにするならば、世にいうIRTという測定学の基本的な発想の出発点は、実はこの項目分析にある。

☆この項目分析の感覚抜きで、いきなりIRTに飛びついても、実は目的や目標が見えなくなってしまう。IRTはテスト会社のある都合によって必要なのであって、現場での目標は、もう少し違うところにある。

☆それは、先の例でいえば、ウ以外の回答を選んだ生徒と学びの視点をすり合わせる時にこの分析は必要なのであり、これこそヴィゴツキーの言う「最近接発達領域」なのである。ヴィゴツキーの理論は古いのではない。まだ理念やアイデアの段階で、彼は亡くなったのであり、ITの進歩によってはじめてその着想が現実化されるときが来たのである。

☆これはある意味遺伝子工学と同じような分析になる。それにしても、選択肢型の問題が、論述や小論文の学びの視点発掘に役立つとはなかなかおもしろい。

☆どうやら、知識ではなく思考だなどと言う議論や思考はしょせん知識の集積だとかいうような議論は、まったくの空虚な議論だったのである。そんな議論に終始している文科省の教育行政による教育改革に何か実りある成果を期待できるのであろうか?かつて竹やりで連合軍と戦ったのと同じ轍を踏むようなことはしないで欲しいものである。

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