なぜ今別学教育か?メモ④
☆筑駒の例を出したのは、パブリックスクールにもかかわらず男子校であるからだ。公私問わず、環境の違いが、力を伸ばすのである。さて、それでは、一般的な公立学校が共学であることが、グローバル人材(正しくは世界市民。グローバル人材は、倫理性はOレベルしか求められていない。世界市民はCDレベルであるからこそ世界の幸せや平和を構築できるのである)の育成促進を阻害するのはなぜかである。
☆知性がLからCにいきなりジャンプするのが人間の特徴なのである。それを阻害するのは制度である。つまり秩序。だから規制緩和が経済を活性化させるなどと言われるが、本質的には創造性は規制緩和によってもたらされると言っているに等しいのである。
☆フロイトの「無意識―エゴ―スーパーエゴ」のモデルを簡易にしてしたのがマズローの五段階欲求であるが、あれなど、いきなりスーパーエゴに飛ぶことができないイメージを植え付ける。また、TA(交流分析)でもフリーチャイルドは抑圧されるカウンセリングになる傾向にある。
☆そしてこれらの人間形成モデルは、企業や女性に継承されているのが本当のところだろう。企業はジョブスみたいな存在をそうかかえたくない。だから、倫理性はOレベルを重視する。カウンセラーは、フリーチャイルドを警戒する。カウンセラーは女性が多い。理論として女性は埋め込められるわけだから、どうしてもOレベルの倫理性が最高段階になる。
☆ジョブスのような存在にあこがれるキャリア教育を行う中等教育段階の学校もそう多くはない。麻布や武蔵、JGなどはアップルの初期の宣伝のように、みんなでクレージーになろう!アインシュタインのように、ハンナ・アレントのように、キング牧師のように・・・というトーンが大好きだろう。だがしかし、一般の公立学校はそうではない。それは私立学校選択でもそういう傾向になっているかもしれない。だから、麻布より駒東なんて選択になりがちだ。
☆桜蔭は、OGには筑駒のようにCOレベルの人材が輩出されるが、それは学校の教育ではなく、同窓力の成せる業である。学校当局は、あくまでMOでよいと考えている。
☆ともあれ、学校化社会のコアな指標は、LOレベルなのである。それは学校カウンセリング理論が広げたといっても言い過ぎでないかもしれない。
☆それゆえ、このLOレベルに達す速度が速い女子がLO指標の監視官になるのである。彼女たちは全く悪気はない。男子は、思春期の自分の変貌は高校生になるころにはっきり表れてくるから、すぐにはPレベルを脱することはできない。女子は小学校高学年から、準備がされる。それは人間の誕生を背負うことであるから、いつまでもP段階でとどまるわけにはいかない。身体性の倫理性という次元の高さは、男子よりも女子の方が優位なのである。
☆それゆえ、中学の頃の共学校では、Pレベルであるだけで、女子の監視の標的になるのである。男子のクリエイティブな言動を知性のCレベルではなく、倫理性がPレベルだからということになってしまう。そこで多くの男子は委縮する。シャイだとかいうのはそのことおを言い当てているにすぎない。
☆先日の聖学院の思考力セミナーで学び合いをやっていたが、すぐに議論が始まっていた。男子だけだからだ。ところが、別学意識のない共学校では、女子が圧倒するのはどこも共通しているだろう。
☆また、女子の中にも男子のような傾向をもつ生徒もいる。すると、女子同士の中でイジメが発生するのである。
☆ところが、女子校では、LOからMOレベルにシフトする教育環境は最低限ある。男子が隣接していない分、男子の役割をしなければならないからだ。この役割のスイッチの切り替えが、メタレベルの知性を養うわけである。
☆このレベルに達すると、おそらくイジメは少なくなる。小競り合いはあるだろうが、少なくなる。だから、女子校でMOレベルに達する生徒が多い中で、LOレベルの生徒がいると、今度は逆に陰湿なイジメが存在するようになる。それはジェラシーがもたらすものである。いや、ジェラシーは誰でもが持つから、ニーチェが言う、呪いをも含めたジェラシーである、ルサンチマン。これは論理という正当化武器がものをいう。転移といってもよいかもしれない。その論理が誤謬であることに気づくにはメタレベルに成長していなければならないのである。
| 固定リンク
「Good School」カテゴリの記事
- かえつ有明 日常の学園生活こそ教育の質(2012.10.01)
- 海城学園 どこへシフトするのか?(2012.09.27)
- かえつ有明 新しいノーブレス・オブリージュへ(2012.09.26)
- 土浦日本大学中等教育学校 世界に開かれた学校(2012.09.26)
- 八雲学園 さらなる挑戦(2012.09.25)
最近のコメント