中村中の今、そして本質①
☆中村の本質。それを見抜くのは難しい。しかし、メタファは校門から始まっていた。校門の前には清澄庭園や清澄公園が広がっているが、その花壇の片隅に美しい紫陽花が咲いていて、訪問者を迎え入れてくれる。
☆天候によって、希望の七色が変化する。しかし、いかなるときも生態系という命のシステムは不易である。命と希望が色香を放っている場所が中村の場である。
☆そして正門を入って受付まで階段をのぼっていくと、そこにはあのLADYが顔をのぞかせる。
☆本校舎がまるで新館を包み込んでいるようでもあるし、未来を映し出す遠近法のスクリーンのようでもある。そして折り返してのぼりきると、清澄公園が再び写しだされる。
☆このスペースの設計は、あのフランク・ロイド・ライトの好きな茶室の空間と同構造である。この向こうに見える清澄公園は、もともとは清澄庭園のもう半分。日本庭園が広がっていた場所である。だから、中村は茶室さながらなのであり、このスクリーンは、躙り口でもあるかもしれない。
☆躙り口がみるものは、本質であり、振り返るとそこには過去と未来があるのである。生徒たちはいつも、この空間に住まい、本質と歴史と未来を体感している。
☆そして理事長室に入ると、さらに迎え入れてくれたのは「みやこどり」である。
☆この「みやこどり」ももう65年も続いているが、この切り絵がまたよいではないか。橋は≪私学の系譜≫のテーマである。その系譜に大きな影響を与えた新渡戸稲造はまさに太平洋の架け橋になろうと決意していた。そんなことを思いながら扉を開くと、この切り絵の橋をうたった詩が掲載されていた。
☆あっ、ここに本質があるじゃないか。そしてこの「みやこどり」が置かれている同じ本棚には、田中耕太郎の「教育基本法の理論」という秀作が並んでいた。新渡戸稲造の意志を継ぎ、戦後教育基本法(多くの私学人がかかわった)成立に尽力した先達者であり、皇室外交を吉田茂と仕掛けた。あの軽井沢のテニスコートの出会いを演出した男である。
☆新渡戸稲造はプロテスタント信者であったが、田中耕太郎はカトリック信者である。なるほど、ここにも本質があるなと気づいた。小林理事長の父親は、高名なキリスト教学者であり、ラッチンガー(今の教皇)の「キリスト教入門」を翻訳されているほどである。もちろん、中村中の理事長・校長も務めた。
☆あの時代の知が、この理事長室には充満しているそう思った。そしてその知がこれから訪れる新館「LADY」にあるのか。果たしてそれは有ったのである。
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