今なぜ別学教育か? メモ②
☆別学教育を考える足場として、知性ベクトルの段階を、LMC、倫理性ベクトルの段階をPODとした。
知性の発達段階には、ロジカル段階、メタ段階、クリエイティブ段階という3つのレベルがある。Lレベル、Mレベル、Cレベルと呼ぼう。倫理性の発達段階には、アメとムチによる矯正・強制という前慣習段階、秩序を自律して形成できる慣習段階、慣習の改革段階である脱慣習段階という3つのレベルがある。Pレベル、Oレベル、Dレベルとしよう。
☆この足場のヒントは、知性ベクトルは、タキソノミーあるいはOECD/PISA。倫理性ベクトルは、コールバーグ/ハーバーマスである。この足場が横断的な基盤となるという発想は、ハワード・ガードナーやオットー・シャーマン。それらの学問情報を入れると複雑になるので、簡易に表現した。しかし、2つのベクトルの合力で考えるというだけで、複雑になり、わかりにくい。それで、二者択一で話が展開するのが広報的発想であるが、それと教育は別に考えておく必要がある。
☆それで、とにかくメモ程度な考察しかできないが、折に触れてメモしておこうと思ったのである。さて、男女の違いは、やはり、なんといっても、女子は秩序を大事にするというL×Oレベルに速く到達してそこから動かないということなのである。よく女子はコツコツ学ぶ傾向と言われるが、それはあくまで現象の一つで、その現象が現れるのは、LOレベルの固定化から生まれてくる典型的な現象なのであるという理解はどこかで確認しておかねばならないだろう。
☆ともあれ、公私問わず、共学の女子のものの見方や行動原理は、この秩序維持と持続可能性にある。これが遺伝子工学とか脳科学の成果にあっているかどうかは全く分からない。それよりも20世紀型教育と歴史・文化・経済・教育による産物だと思う。
☆その傾向が、先天的なものか後天的なものかわからないが、少なくとも男女に関係なく「ある環境」によって、LOレベルをCDレベルに転換することは可能なのである。
☆しかし、現状の公立学校の共学教育では、それは不可能なのである。というのも、公立学校の目指す教育目標が、LOレベルに設定されているからである。教育行政は、Lレベルの方法論の違い、Oレベルの秩序そのものの考え方の違い、端的には民主党と自民党の違いにすぎず、LOからCDへというヴァージョンアップの教育デザインの話では全くない。
☆ところが、グローバル人材を育成しなければならないという話になると、CDレベルの知性段階、倫理性段階がないと、まったく立ち行かないのである。しかし、そこに文科省は気づいていない。よって、結局LOレベル内での競争になり、賢いけれどうつ病気味の人材がたくさんできる。
☆LOレベルで、二つの教育行政の狭間で、どうすりゃいいんだとジレンマ状態に押し込められているのが、現在の中等教育段階の大きな問題である。ジレンマを解決するのは、次元をアップする。つまりヴァージョンアップするしかないのである。これが弁証法的発想であり、心理学お得意の発達心理の発想であるはず。論理階型、ダブルバインド、不可能性原理なども結局はそういうことだ。しかし、その発想を学びながら、教育行政では、まったく無視されているのが現状なのである。
☆ところが、そのヴァージョンアップを促進しているのが、私立の男子校、女子校、共学別学校なのである。
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