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かえつ有明で第6回21会

☆昨日7月6日、かえつ有明で、第6回21会(21世紀型教育を考える会)が開催。昨年10月13日に広尾学園で第1回を開催しているから、かなり順調にミーティングが続いてきた。それだけ、子どもたちをめぐる時代の喫緊の課題をなんとかしようという内発的モチベーションが高い先生方が集まっているということだろう。

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☆この会の存在自体、時代のある流れを象徴している。それは時代は国家から個人の時代に再び立ち戻ったということである。個人の時代と表現すると、つい先ごろまでの社会学では、大きな物語を喪失した微分化された個人という意味で言われてきたが、3・11以降は、その意味は変質した。

☆つまり、国が何とかするとか、企業がなんとかするとか言ったとしても、そういうレベルでは何も解決しないことが明白になったわけだが、そのとき同時に世界で民主革命が起こっていた。そして被災地でも、エジプト革命などと同じように、個人の叡智と行動力が世界を動かすことができるという意味で個人の意味が広がり深まった。

☆個人の時代とは、自分にしか興味と関心を抱けない虚無としての個ではなく、個人の叡智とテクノロジー(英語とIT)によって、世界を動かすことができ、国家や企業ではなく、コミュニティを変幻自在に創出しながら新しい生活圏を地球規模で創出していける個人のエンパワーメントの時代を示唆するのである。

☆そして、このような個人を形成できるのは、中等教育時代の教育であり、そのような教育とシームレスに接続できるパワーのある高等教育機関なのである。

☆しかし、グローバリゼーションの時代といっても、3・11以降も、実はまだ生き延びている国家や企業に頼らねばならないという個の意識が多勢を占めている以上は、まだまだインターナショナリゼーションの域を出ない。

☆それゆえ、そこでの個は、抽象的で画一的な国家の構成要素でしかないのである。しかし、今や個はそれぞれ世界を動かせるような叡智とテクノロジーを学び、寛容性にあふれているクリエイティブ・クラスを形成できる可能性が広がってきたのである。

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☆国家構成の一要素としての個と世界をも構成できる個人とがせめぎ合っているのが現在であるが、自然と後者が優位に立つわけではない。そこは仕掛けをしなければならない。世界の政治、経済、法制度などの動向情報を集めながら、クリエイティブ・クラスとしての個人を育成する21世紀型教育はいかにして可能か?その喫緊の課題について、21会は対話してきた。

☆そして、ある一つのアクションプランが出てきたそのときである、今回エスコート役のかえつ有明の石川副校長がセレンディピティの能力を発揮。思いも寄らぬアイデアに21会は大いに盛り上がった。

☆具体的なアクションは9月に公表される予定である。

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