« 思春期学 「MICモデル」 [01] | トップページ | 西武文理 学びの組織 »

思春期学 「MICモデル」 [02]

☆Intelligenceの軸が7段階のものを活用している。このこと自体実は問題がある。ステップを踏まないで、いきなり5段階に飛べないのかという発想があるからだ。これは、ガードナーの多次元知能という発想に照らし合わせれば、そういう発想もあると了解できるだろう。しかし、この7段階は子ども自身の自然な成長というよりは、教育という制度の問題なのである。この制度は、先進諸国では、まだまだハイパーテキスト型ではなく、階段をのぼるように設計されている。ガードナー発想は、89年のベルリンの壁崩壊後の新しい学習観を促進する理論だから、リニアー型とハイパーテキスト型の違いがあるのだろう。

☆しかし、ハイパーテキスト型は思春期学の重要な問題であるが、それは新しいアイデアとしてのちのち記述する。すでにそういう新しい学びを企画している私立中高の教師は存在していて、いずれその先生の実践を紹介したい。

☆今は、たとえリニアー型でも、7段階まで飛ぶようになっていないというふつうの公立共学校の思春期学の自覚がない(知っていても隠ぺいされている?)現状を指摘することを目的としよう。

☆Intelligenceの段階はざっと次のような感じである。

レベル1(情報・知識の確認・記憶):情報や知識の再現。知識間のつながりは理解しなくてよい。

レベル2(情報・知識の簡単な構造化):知識どうしの簡単な関係やつながりをリンクさせることができる。

レベル3(簡単な情報・知識の一般化):レベル1で再現した知識を他者が間違って再現していることを指摘できる。その指摘を通して、簡単な一般化ルールがあるということを体感できる。知識どうしを分類できる。

レベル4(情報・知識を論理的に構造化):知識を活用して、意思決定をしたり、論理的に考えたことを表現できる。

レベル5(情報・知識を批判的に構造化):他者の考えを批判的に見ることができる。知識間のリンクだけだけではなく、論理的プロセス全体をモニターできる。知識に関して正確な理解をモニターできる。

レベル6(情報・知識を科学的に構造化):知識を自分の生き方に活用し、社会にとって重要なコンテクストと自分のものの見方・感じ方を一致させることはいかにしたらかのうかなどを考えることができる。

レベル7(情報・知識の新たな構造化):イノベーティブな発想であふれている段階。(この段階は私が付け加えた)

☆中高レベルでは、Iレベル4までが求められているのが、現状だろう。しかし、実際にはさらに、レベル3までの授業しか展開されていないというのも否めない。そもそも大学入試問題が、レベル3までのものがほとんどである。そこまでしか偏差値で測定することはできないということもある。東大の問題も、記述や論述をさせるからといっても、近代化ゾーン内の話である。これを飛び越える問題は、現状ではおそらく慶応大学ぐらいだろう。

☆それはともあれ、生徒の方はそれでは満足できない。たとえば、筑駒の生徒は、中3でIレベル5に達する。もし、近代化ゾーンがIレベル4までしか要求していない場合、筑駒の生徒は悩んでしまうことになるだろう。

☆がしかし、そうはならない。というのは、彼らはきちんと近代化ゾーン内部での競争で高偏差値を獲得しているから、あとは好きなことをやってよいのである。Iレベルでの近代化ゾーンは免許皆伝というわけだ。

☆一方、Iレベル5やIレベル6、7の才能豊かな生徒で、近代化ゾーン偏差値が低い生徒がいるのである。これがリニアーなレベル設定の恐ろしいところである。こういう生徒は、才能を認められない。基礎をしっかりやっていないから、創造的な才能も、たんなる思いつきであると。

☆もちろん、あのガードナーでさえ、基礎をきちんとトレーニングしてからでないと、創造的才能をトレーニングしても意味がないと言っている。やはりな!と思ってはいけない。なぜなら、近代化ゾーンの中で偏差値競争を全くしていないのが欧米の教育である。基本的なものの見方や考え方をトレーニングしようと、それは車の免許のように、多くの人間が等しく先に進めるのである。

☆つまり、ガードナーは車の免許をとらずに、レーサーになるのは危険だよと言っているに過ぎない。もちろん極端なレトリックに過ぎないが。

☆かくして、ふつうの公立共学校では、思春期は悲惨である。近代化ゾーンに閉じ込められ、その中でラットレースを強要される。こういうと当事者である教師は、そんなことはしていないと語るだろう。いやいや公立高校入試が偏差値スコア順による配分システムなのだからそうは単純には言えないのである。。。

☆このような反応は、すでに教師自体が近代化ゾーン内で思考するシステムが作られているということの証明である。教師個人の問題ではなく、教育制度の問題なのである。システムの問題なのである。それをクリティカルにあるいはクリエイティブに見直す視角が必要だというのが、思春期学の立場であるだけなのに。。。

☆そんなわけで、高偏差値の生徒は、万能感を抱く危険性があるし、万能感を抱いている生徒が、近代化ソーンを超えている生徒に対し、羨望と呪詛と恨みの混在したルサンチマンを抱くようになるのである。彼らには、近代化ゾーンのむこうは結界なのである。

☆また、偏差値が低い生徒は、近代化ゾーンにいる場合は、劣等感・コンプレックス・自己否定感に苛まれる。ところがここに心理学やカウンセラーが登場して、だれでも劣等感をもつのだからと、生徒の話を聴いてくれる。これによって一瞬ではあるが、近代化ゾーンでなじめる心理状態をつくることができる。しかし、一瞬は一瞬である。

☆この近代化ゾーンにはじめから参加しない生徒がいる。Iレベル4までは、学校に行っている限りは、偏差値競争の影響をうけるが、基本的な考え方だけマスターして、静かに通り抜けようと決めた家族は、幸いにものんびり暮らせるのである。

☆ただし、学校を卒業した後たいへんだ。日本の企業は、近代化ゾーンでの高偏差値を就職条件にするからだ。イギリスに住んでいる韓国の知人に、日本では、就職試験で、数学や英語、国語の試験をすると言ったら、驚きあきれていた。

☆近代化ゾーンにこだわっていたら、グローバリゼーションでサバイブできないよと。いじめや不登校の問題は、近代化ゾーンのシステムの問題であり、近代化ゾーンのシステム内のメンテだけでは、問題解決はできそうにないことは、どうやら明らかである。近代化ゾーンに居座ろうとしたら、グローバリゼーションは悪であると映るのは当然。ガラパゴス日本とは、89年の事件は、近代化ゾーンのシステムの転換がグローバル化したのに、それに気づいていないことを示唆しているのかもしれない。いやいや、そんなことはないだろう。利権や既得権の問題だとは思うが。。。

☆いずれにしても、近代化システムの光と影は、この近代化ゾーンのシステムの存在にあるのではあるまいか。近代化システムと近代化ゾーンのシステムのジレンマ。前者は理想であり、後者は現実だというシステム構築の行き詰まりということだろう。閉塞状況という言葉は、好まれるが、この状況は、近代化ゾーンのシステムそのものではないだろうか。

|

« 思春期学 「MICモデル」 [01] | トップページ | 西武文理 学びの組織 »

教育イノベーション」カテゴリの記事