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ヒッグス粒子発見♪

☆日経新聞(7月15日)によると、

 7月4日、スイスのジュネーブ郊外にある欧州合同原子核研究機関(CERN)。「見つけたと思うが、どうだろうか」。ヒッグス粒子に関する最新の研究成果を聞くために会場を埋めた物理学者たちを前に、ロルフ・ホイヤー所長はこう問いかけた。会場には、1960年代半ばにヒッグス粒子の理論を発展させた4人の物理学者も招かれていた。粒子の名前にもあるピーター・ヒッグス博士と、同時期に同じような理論を発表したフランソワ・アングレール博士。少し遅れたカール・ヘーゲン博士とジェラルド・グラルニク博士だ。理論提唱者たちの祝福を受け、会場は一層の盛り上がりを見せた。

 昨年12月のCERNの発表は新粒子かもしれないし、実は見間違いで何もないかもしれないという段階だった。さらに実験を積み重ねた今回は新粒子の存在がはっきりした。

Flickr
ヒッグス粒子のスティーブ・ジョブズ風プレゼン

☆なんて素敵なのだろう。結局はデカルトの思考スタイルが証明されたのだから。つまり、空間は物質の延長だし、エーテルに満たされているという説。

☆もちろん、エーテルという物質があるわけではないが、それをヒッグス粒子の場ととらえるとよいのではないかなァ(素人の発想だから、きっとすでにどこかで否定されているだろうが)。

☆デカルトは二元論者ということになっているが、物質と精神の相乗作用を言いながら、それを科学的に証明できなかったから、物質と精神の二極だけが残った。その二極の周りは真空という発想がニュートン以降広まったからだろう。

☆だがしかし、そこが真空と言えども力の限りなく弱いヒッグス粒子の海が実際には存在しているのだとしたら、物質と精神の統合理論が再び生まれる。

☆それはヒッグス粒子の発見が、物理学の懸案の大統一理論の大きな一歩になるのと同じくらい価値があるのではないだろうか。それにだいたい、ニュートンは、デカルトを熱心に読んでいたのだという。エーテルと真空は、もしかしたら超対称性の発想を形作ったのかもしれない。

☆もっとも高橋洋一氏によれば

ヒッグス粒子の発見についても、それがどのように役に立つかをいえる人はいない。元素周期表に新しい元素名を追加したところで、社会にはほとんど影響がなかったように、ヒッグス粒子の発見も美しくシンプルな標準理論に残された最後のマス目を埋めただけだ。

 もちろん、気鋭の物理学者なら、標準理論の次の「新しい素粒子論」を熱く語るだろう。つまり、ヒッグス粒子の発見は知識向上という人間の営みなのだ。

 美しくシンプルな独創性に社会がカネを出す。独創性というのは希少性があり、相対評価の高いものだ。科学の世界では独創性はこれまで正しく評価されてきている。一種の美的感覚にもなるが、多くの英知をうならせるような評価を受けるものは、超長期的にみれば社会への貢献も多いようだ。

 こうした基礎科学への予算を正当化するために、俗っぽくいえば、知識の優れた人間を次世代にも絶やさぬようにするために資金援助していると思えばいいだろう。美しくシンプルな独創性の希少性への対価という説明は、経理屋ばかりの財政当局に有効だと思うが、どうだろうか。

(ダイヤモンドオンライン2012年7月12日「ヒッグス粒子発見!すぐには役に立たぬものにおカネを出す意義を考える 」から)

☆一見役に立たないが、二元論を関係論に転換する大きなきっかけにはなる。つまり、高橋氏の言う「知識向上!」というわけだ。

☆ヒッグス粒子の観測データを譜面におこし、神の旋律を追究するクリエーターもでてくるし、ヒッグス粒子発見のプレゼンをジョブスだったらどうするかとデザインした人まですでに登場している(※)。こういうノリは経済活性にも、結果的に影響するかも。

Photo

(※)ポートランドにあるWieden+Kennedy社のクリエイティヴ・ディレクター、キュー・ダン・ホンは、ヒッグス粒子をスティーブ・ジョブズ風にプレゼンするスライドショーを作成した。(産経ニュース2012.7.6)

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