サンデル問題②
☆サンデル教授の正義は、正しいか間違っているかということではないのである。正しさの可能性の公平性の問題である。正しいか間違っているか、その境界線は本当は絶対的に決まらないにもかかわらず、決めてしまう。それによって、可能性は消失する。
☆ここにリスクが発生するのである。
☆正しいことと間違っていることを決めることで、間違っていることを排除できる。これが危機管理のやり方である。しかし、正しいことの可能性、あるいはその逆、こちらのほうが重要であるが、間違っていることの可能性が消失する。
☆そこから危機管理を乗り越えて、危険が生まれる。その危険をいかにして防ぐか、それがリスク管理だ。
☆なぜ電力会社が、原発を再稼働することが正しいと思っているかというと、危機管理上は正しいと思っているからである。しかし、間違っている可能性を排除しただけで、その可能性は残されたままである。
☆この可能性を本質というのである。本質的な議論をしようというと、能書きはいらないと上から目線の人が必ずいるものである。
☆彼らは、危機管理は一生懸命であるが、リスクマネジメントはしない。つまり本質はどうでもよいのである。
☆人間の存在は、常に本質を条件とする。だから冒険する。勇気を持とうとする。チャンスを探す。危機管理を超えよとする。しかし、そのリスクは、痛みを伴う。
☆つまり、リスクマネジメントとは、痛みをシェアする公平性という正義がないと、受け入れられないのである。自殺を強要されることは、痛みをシェアする公平性ではない。つまりそこに正義はない。よって違法なのである。
☆そうは思わないだろうか?もし、そう思うのであれば、自殺を強要するいじめは許せないと同じように、自殺を強要するのと同じ行為は正義に反する。原発再稼働は、シェアできる痛みなのか、それとも強要されるものなのだろうか。
☆自然の限界を超える時、おそらくそこでは正義は無視されていると考えたほうが意思決定を間違えないだろう。自然を超える試みは、科学の進歩と共に常に行われている。そのたびに間違いの可能性が生じるのである。つまりサンデル問題が発生するのだ。
☆私たちは対話する以外に方法はない。しかし、私は電力会社の人と話したことはない。1人でも対話ができないインフラの未完成の段階では、正義は未完であると認識することが必要である。したがって、民主主義は今のところやはり未完である。これに代わる正義の対話システムがあればよいのだが。。。
☆それには、道徳発達段階を、一般的な他律制御から自律制御の段階、さらに創造的段階に進めなければならない。コミュニケーションレベルを、一方通行レベルから双方向レベル、そしてやはり創造的レベルに向上させる必要がある。
☆リベラルアーツは一部の人間だけに行われてきたが、今後は地球市民全体に広げることを急ぐ必要があるだろう。そのための教育改革が喫緊の課題である。
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