公立学校 いじめに対処できない組織問題
☆香山リカさんは、「香山リカのココロの万華鏡:学校一丸で生徒守れ」毎日新聞 2012年07月17日で、大津市の中学の男子生徒が自殺した問題について、こう語っている。
ここで大切なのは、学校が「いちばん大事なのは生徒」という態度を貫くことだ。もちろん「いじめや自殺が起きたのに、何が“生徒が大事”だ」という声もあるとは思うが、それでも原理原則は「私たちの学校の子どもは私たちが守る」。「自分たちにはお手上げです、捜査は警察に、ケアはスクールカウンセラーにお願いします」では、子どもたちは本当に学校から見捨てられたように感じ、二度と教師やおとなを信頼することができなくなる。
☆気持ちはわかるが、それでは警察やスクールカウンセラーは、なんのためにいるのだろうか。残念ではあるが、学校の法化現象において、心理学者の弱みが露呈するいつものパターンである。
☆先生方が生徒を守らねばならないのは、このような事件が起こる前のことである。起きてしまって、自分たちはいじめやそれとの因果関係は判断できないといっているメンバーに期待をするというのは、おかしいだろう。
☆子どもたちを守るには、まずは、この学校の先生方全員総入れ替えであろう。いじめによるリスク管理ができなかった教員集団は、とりあえず、事件の事実関係がはっきりするまで、現場から距離を置くのが、リスクマネジメントではないか。その判断がつかない教育委員会や学校当局だから、なおさら期待をすることはできない。
☆リスク管理のおおもとは何か?信頼関係を築こうとする意志の共有とアクションである。これがないからいじめ対応が遅れる。隠ぺいしようとするのである。つまり、もともと学内全体で信頼関係を構築するベースのないところに、反省して期待を寄せるのは、組織形成のうえで間違っている。
☆心理学では、できあがった組織の維持のためのメンタルケアはできても、崩壊している組織そのものを再構築するトレーニングスキルを生み出しているとは思えない。
☆組織という信頼関係をカッコにいれて、その中に包摂されている個人対個人のメンタルをケアすることは心理学で可能だろう。だが、その組織がナチスのような組織だったら、どうするのか?
☆すべての学問の総力戦で闘争しなければならないだろう。ことはそれほど重要な事態である。つまり、学校運営者の意思決定ができない組織にリスクマネジメントはできない。それが公立学校の組織の問題なのである。つねに責任はないのである。目の前の人間が困窮しているときに、助けるかどうか判断を自治体に文科省に判断をゆだねなければならない。
☆それでも、身体をはって生徒を守る教師もたくさんいる。組織がダメでも、首を覚悟で身体をはる殉教の徒はいるものである。しかし、今回はいなかったのだろう。「いちばん大事なのは生徒」という態度を貫くことができない組織なのに、それに身体を張ることができなかった教員集団に期待するのは、問題をまた先送りすることにしかならないだろう。
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