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≪私学の系譜≫ ヴォーリズの意味[04]

☆「工読女学校」は、日華事業協会からの謝礼金によって設立されたが、それだけでは運営はできない。学費は無料であるから、日本の有力者の寄付金集めに、清水安三は奔走した。戦後日本の教育や福祉に尽力した立教大学教授のポール・ラッシュがキープ協会設立や聖路加病院の建設資金のために米国で寄付金集めに奔走したのと重なる。≪私学の系譜≫とはこういうことなのだ。

☆清水安三を支援した大企業家に岡山の大原孫三郎がいる。クラボウ、クラレでおなじみのグループを創設した人物である。早稲田大学時代は放蕩息子だったが、岡山に連れ戻され、謹慎。そのとき岡山の四聖人の一人石井十次に出遭う。十次は、はじめて孤児院をつくっていて、児童福祉の父と呼ばれているようだ。そしてキリスト者である。だから、その影響を受けた大原孫三郎も受洗し、その後新しい人となり、ヴォーリズのように、MFOを独立自尊の気概で普遍化する仕事を拡大していて、それが今日あるのである。

☆クラボウ、クラレ、中国銀行、中国電力、倉敷中央病院、大原美術館、岡山大学資源生物科学研究所、倉敷労働科学研究所、法政大学大原社会問題研究所、岡山県立倉敷商業高等学校が今日あるのも大原孫三郎の業績である。孫三郎も≪私学の系譜≫の一人であったのである。

☆したがって、清水安三が支援を受けたのは出会いとはいえ、必然だったのだろう。しかし、ことはそこで終わらない。大原孫三郎は2年間の清水の米国留学を支援している。その行った先が、オハイオ州のオベリン大学。こうして、のちに清水は桜美林を創設することになるのだ。

☆しかし、そこに行くまでに清水安三の人生は紆余曲折。2年の留学が終わり、「工読女学校」にもどってくると、第一次世界大戦後の経済恐慌が始まり世界大恐慌に直面する。支援者からの寄付は縮小し、学校経営は危機的状況。しかし、MFOを経済的に独立自尊の気概で普遍化しなければならない。その気概を清水は失うことはなかった。

☆実は清水安三を精神的にも実際の仕事の面でも強く支えた人がいる。妻の美穂である。「工読女学校」の運営のために美穂は学校に残り、安三は日本で資金を送るために寄付金集めだけではなく、新聞社の特派員や同志社の講師をして働いた。

☆こうして乗り切ったのであるが、もう一つとても大切な事業がある。それは、「工読女学校」創立当初、ある中国の行商の女性から中国刺繍のつくりかたを生徒に伝授してもらったことに端を発している。これによって、スラム街だった女学校の周りの地域に地場産業が生まれることになるのである。

☆今日であれば、ノーベル賞を受賞したユヌス氏の行ったマイクロファイナンスの事業に相当するだろう。ともあれ、この事業を女学校でも行い、当時はまだまだ少ない売上げであったかもしれないが、学校を生徒と共に持続しようというモチベーションが盛り上がっていたのは想像に難くない。

☆こうして、新校舎もあって、名称も「崇貞女学校」となり、順風満帆のように思えたが、今度は第二次世界大戦である。これはどうしようもないし、中国刺繍を売りながら学校経営をしているのは商売人のやることで、大学教師をしているのは、けしからんということで、同志社の講師を解雇される。再び学校は経済危機に陥るのである。

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